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メッセージ : 神様の愛に生かされて(一コリント13章4〜7節)
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-06-04 06:00:00 (44 ヒット)

教会に行くと、よく耳にする言葉の一つに「愛」という言葉があります。よく知られている「愛」についての聖書の箇所はコリントの信徒への手紙一13章です。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(一コリント13章4〜7節)。
 ここに記されている「愛」という言葉をある方は二つの言葉で読み換えてみるように提案します。一つは「私」という言葉です。「私」、つまり、私たち一人一人のこととして読んでみるということです。するとどんなことが分かるでしょうか?私は忍耐強いでしょうか?いいえ。私は情け深く、ねたまないでしょうか?これもいいえとしか答えようがありません。そうしてみると、いかに私たちはここに記されている「愛」ということからかけ離れているかということが分かります。
 次の提案です。それは、この「愛」という言葉を「イエス・キリスト」という言葉に置き換えて読んでみるということです。するとそこから分かることは、ここに記されていることは、イエス・キリストという方がこのようなお方であるということです。そして、ここに示されている「愛」というのは、イエス・キリストという方の愛、神様の愛ということなのです。
 私たちは、この「愛」には遠く及ばない者です。けれども、この「愛」によって、愛されている私たちなのです。イエス・キリストを信じるということは、私たちがこの「愛」によって愛されている、この「愛」が私たちに与えられているということを信じるということなのです。



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