なぜ怖がるのか。まだ信じないのか(マルコ4章35〜41節)
イエス様は弟子たちの助けを求める声を聞いて、起き上がり、そして、風を叱り、湖に向かって、このように言われました。「黙れ。静まれ」(39節)。そして、このようにも言われました。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(40節)。私はこの「黙れ。静まれ」、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」という言葉のどちらも弟子たちに向かっても言われたことのように思えてなりません。「黙れ。静まれ」。弟子たちはこの時、恐怖から叫んでいたかもしれません。心騒いでいたことでしょう。そういう弟子たちに対しても、「黙れ。静まれ」と言われたのではないでしょうか。
出エジプト記14章13節にこのような言葉があります。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。14:14 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」。ここに、主の救いを見よ、と語られています。恐れおののき、主を見失ってしまう。私たちもそういう繰り返しではないでしょうか。そういう私たちに対して、「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」とあります。主のみわざ、主の助けを信じていくのです。
イエス様は弟子たちにこう言われました。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」。これは弟子たちへの叱責の言葉です。でも嬉しい叱責の言葉だと思います。なぜなら、「まだ信じないのか」、「まだ」というのです。あなたがたはもうだめだ、ではないのです。イエス様は弟子たちのことをあきらめてはいないのです。彼らが様々なことを体験し、通らされて、本当に主を信頼する者へと変えられていく。その日が来ることを、その期待を持って、主は弟子たちに関わられていた。そして、今、私たちにも関わっておられるのではないでしょうか。
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