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【礼拝説教】2021年2月21日「主は近い」

聖書―フィリピの信徒への手紙4章2~9節
(はじめに)
今日の説教題は「主は近い」という題にしました。これは今日の聖書の言葉、フィリピの信徒への手紙4章5節から取りました。その箇所にはこういうことが書いてあります。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
「広い心」。これは「寛容」(口語訳)、「寛容な心」(新改訳、聖書協会共同訳)とも訳されます。「あなたがたの広い心」、あるいは「寛容な心」と言われても、私は決して、広い心、寛容な心の持ち主ではない。そのように言われる方があると思います。そして、その後に「主はすぐ近くにおられます」と続きます。
主は近い。主はすぐ近くにおられる。この言葉には二つの意味があります。一つは、主、私たちの救い主であるイエスさまが近いうちにおいでになる、ということです。このフィリピの信徒への手紙が書かれたのは迫害の厳しい時代でした。そういう時代にあって、この手紙を書いたパウロは、神さまの約束として、十字架にかかり、死なれ、三日目に復活され、天の国に帰られたイエスさまが再び、おいでになります。そして、神さまの真実が明らかになります、神さまの救いの完成が起きます。そのように言って、イエスさまを信じる人びとを励ましたのです。
主は近い。主はすぐ近くにおられる。もう一つの意味は、イエスさまは、イエスさまを信じる人たちといつも近くにおられます、一緒におられます、ということです。クリスマスの時に読まれる聖書の箇所に、天使がヨセフにイエスさまがお生まれになることを伝える場面があります(マタイ1章23節)。イエス様は「インマヌエル」と呼ばれる。それは「神さまは私たちとともにおられる」という意味です、と伝えます。主は近い。主はすぐ近くにおられる。私たちもこの希望を持って歩みましょう。

(聖書から)
今日の聖書箇所の最初の言葉、2、3節には、このようなことが書かれています。
4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。4:3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。
エボディアとシンティケという二人の女性の名前です。この人たちにパウロは「主において同じ思いを抱きなさい」と言っています。この二人はフィリピの教会のメンバーでしたが、対立していた、と言われます。それでパウロはこのように勧めるのです。「和解しなさい」とか、「仲良くしなさい」という意味で考えてもよいと思います。
ただ、この聖書に書いてある「主において同じ思いを抱きなさい」、この言葉はイエスさまを主と信じている者にとっては、とても大事なことです。私たちが普通に考える仲直りというような意味に留まらないからです。それはどういうことかと言いますと、まず、一つは「主において」ということです。イエスさまにおいて、またはイエスさまによって、ということです。私たち教会のことで考えてみますと、私たちは気の合う人たちの集まりであるとか、仲良しグループということではありません。それぞれ異なった背景を持ち、考えを持った者たちの集まりです。そういう私たちがなぜ、毎週、同じ教会に集まってきて、一緒に礼拝をしているのでしょう。これは「主において」、イエスさまによって集められているからなのです。私たちが礼拝をする時、お互いが主において、主によって呼び集められている。そのことをおぼえたいと思います。
次に「同じ思いを抱きなさい」とありました。同じ思いというのは、同じ考え方、感じ方を持ちなさい、ということではありません。イエスさまにあって、イエスさまによって、一つになりなさい、一致しなさい、ということです。では一つになって、一致してどうするのでしょうか。3節に「真実の協力者」とありました。「力を合わせて、福音のために」とありました。私たちは福音のために力を合わせて励むのです。福音、イエスさまの救いが伝えられるために励むのです。これに続いて、このようなことが語られています。
4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
喜びなさい、と言われています。喜びなさい、と繰り返し言われますと、「あなたは喜んで生きていますか?」と問われているように思えます。私たちの現実は厳しいことが幾つもありますから、そう言われても、なかなか喜べない、と言われるかもしれません。けれども、この喜びの勧めは、ただ、喜びなさい、と言われているわけではありません。ここにも「主において」という言葉があります。主において常に喜びなさい、と言われているのです。
今日、最初に5節の言葉を読みました。説教題はこの節から取りましたので、5節からお話を始めましたが、この節には「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」という勧めが語られていました。「あなたがたの広い心」。自分のことで考えてみますと、決して、自分は広い心の持ち主ではない。正反対で狭い心の持ち主。そんなふうに思われた方、私も含めて、多いのではないでしょうか。そして、それに続く言葉が、先ほど、お話ししました「主はすぐ近くにおられます」です。
イエスさまは再び、私たちのところにおいでになります。イエスさまは、今も私たちと一緒におられます。このことを信じていく時、私たちの心に受け止めていく時、主が私たちに広い心、寛容な心を与えてくださるのです。そして、イエスさまを信じてよかった。イエスさまが共におられるからよかった。心に喜びが与えられるのです。ですから、ここでパウロが言っていることは、あなたがたは喜ばなければなりません!と言っているのではなく、あなたがたは喜ぶことができる!イエスさまの愛と恵みを知っていく時、信じていく時、あなたがたに喜びが与えられる。あなたがたの心に喜びが湧き出てくるということなのです。
6、7節をお読みします。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
主はすぐ近くにおられます。その信仰、信頼は私たちを思い煩いから解放します。「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」とあります。神さまへの信頼を持って祈るのです。そうするならば、私たちの思いを超えた神さまの平和、これは別の訳では神さまの平安となっていますが、この神さまの平和、平安が私たちの心と考えをキリスト・イエスによって守ってくださるというのです。

(むすび)
今日の最後の聖書箇所をお読みします。
4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。4:9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。
お読みした箇所で言われているのは、主を信じる者の世の中における態度とか、あり方ということです。私たちは世の中と離れて生きていくことはできません。主は私たちを世のただ中に遣わされ、地の塩、世の光として生きていくように導かれました。8節には、世の中の善いことについて、心に留めなさい、とありました。心に留める。それは無関心ではなく、関心を持ちなさい、ということです。世にある善いもの、善いことを受け入れること、またそれを世にある人びとと一緒に喜び合い、分かち合うのです。そして、9節では、神さまの言葉を世において実践、実行するように、ということです。神さまの言葉をただ聞いて、見て、留まるのではなく、表していくことに努めていくのです。復活されたイエスさまは弟子たちにこのように言われました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16章15節)。世のただ中に出て行って、そこで福音を宣べ伝えるのです。私たちは世のただ中で人びとと出会い、共に生きる。そして、福音を宣べ伝える教会として歩んでまいりましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
「主において常に喜びなさい」。み言葉は私たちに喜ぶことを勧めます。しかし、なかなか喜べないでいる私たちです。世のただ中で思い煩い、生きる私たちですが、「主はすぐ近くにおられます」、「平和の神はあなたがたと共におられます」ともみ言葉は語ります。主において喜ぶ。それは主が共におられることを喜ぶ、主ご自身を喜ぶということです。
私たちはただいま主を礼拝しています。主を礼拝するとは、主を感謝し、賛美すること、つまり、主を喜ぶことです。今日から始まります新しい週の歩み、日々、主を礼拝する者、喜ぶ者としてください。そして、神さまの平和、平安が私たちを守ってくださいますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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