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【礼拝説教】2022年1月30日「私の贖い主」

聖書―詩編19編1~15節
(はじめに)
 第五週の日曜日の礼拝では、旧約聖書の詩編からの説教をしてきました。詩編の言葉は、私たちに、信仰、祈りといったことを教えます。ところで、聖書が教える信仰、祈りというのは、神さまとの関係から成り立つもの、なされるものです。それを抜きにして、一方的に神さまが私たちに何かを命じたりするとか、また一方的に私たちが神さまに何かを要求したりするというようなものではありません。
 ですから、私たちは、聖書から神さまを知ることに努めるのです。私の信仰の対象、信頼すべきお方はどのようなお方であるのか、どのようなことをお考えであるのかを知っていくのです。そればかりか、私たちは聖書から自分自身をも知るのです。ある人はこう言うかもしれません。「私は自分のことは自分でよく分かっている」。けれども、聖書から知る自分自身というのは、それとは違います。聖書から知る自分自身とは、神さまから見た自分を知るということです。

(聖書から)
 お読みしました詩編19編、この箇所は、三つの内容に区分されます。2~7節、8~11節、そして、12~15節です。最初に区分された内容、2~7節では、自然から、つまり、すべてのものは神さまが創造されたものですから、神さまが創造されたものを通して、神さまご自身を知るという内容になっています。2節を読んでみます。
19:2 天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。
 天や空を通して、神さまの偉大さを知る。そういうことが語られているのでしょうか。私たち人間も神さまの創造されたものです。神さまに造られた私。新約聖書・エフェソの信徒への手紙2章10節には、「わたしたちは神に造られたもの」とあります。「神に造られたもの」、これは「神の作品」(口語訳、新改訳、聖書協会共同訳)とも訳されます。ある方は、私たちは神さまのハンドメイド、手作りの作品である、と言っています。一人一人が異なった存在、オリジナル、特別な存在、それが私たち人間なのだ、というのです。
 4、5節には、このようなことも語られています。
19:4 話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても
19:5 その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。
 聞こえない声、響き・・・。それが「その言葉は世界の果てに向かう」とあります。聞こえない声、響きとして、神さまの言葉が私たちに語られているというのです。神さまの言葉は、言葉そのものとしてというだけでなく、出来事としても語られると言ってもよいでしょう。そして、8節から、その神さまの言葉について、このようなことが語られています。
19:8 主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
19:9 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え/主の戒めは清らかで、目に光を与える。
19:10 主への畏れは清く、いつまでも続き/主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
19:11 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく/蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
 8節以下は、神さまの言葉を通して、神さまを知るという内容です。神さまの言葉は、「主の律法」、「主の定め」、「主の命令」、「主の戒め」、「主の裁き」というふうに五つの言葉で言い表されています。そして、神さまの言葉がもたらすことは何かというと、「主の律法は完全で、魂を生き返らせ」るということ、「主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える」ということ、「主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え」るということ、「主の戒めは清らかで、目に光を与える」ということ、「主の裁きはまことで、ことごとく正しい」ということです。皆さんは、神さまの言葉に出会って、それぞれここに語られているような恵みを受けてきたのではないでしょうか。
 この中で、特に注目してみたいのは、「主の律法は完全で、魂を生き返らせ」るということです。神さまの言葉は、私たちの魂を生き返らせるというのです。今はなかなか新型コロナの感染拡大のため、出かけたりすることが難しい状況にありますが、例えば、この寒い季節、冷え切って、こわばった体が温泉につかると、「魂が生き返った!疲れがすっかり癒された!」と言われる方があるでしょう。神さまの言葉は私たちの体だけでなく、心も、生き方も、すなわち、全人格的に生き返らせてくださるのです。先ほど、神さまの言葉から、私たちは本当の自分を知るということをお話ししましたが、それは神さまに愛され、大切な、かけがえのない存在とされている自分を知るということです。そのことを知ったなら、信じたなら、私たち人間は、立ち上がること、起き上がることができるのです。
 これに続いて、12~15節の内容は、神さまは私たちの心の中を通して、ご自身を示されるという内容です。12節には、「あなたの僕はそれらのことを熟慮し/それらを守って大きな報いを受けます」とありますが、繰り返し、「それら」ということが言われていますが、これは神さまの言葉のことです。神さまの言葉、神さまの語りかけを熟慮し、守り、生きるなら、大きな報いを受けるというのです。そして、神さまの言葉から、祈りに導かれた人の言葉が続きます。
19:13 知らずに犯した過ち、隠れた罪から/どうかわたしを清めてください。
19:14 あなたの僕を驕りから引き離し/支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ/わたしは完全になるでしょう。
 この人は、罪からの救いを祈っています。「知らずに犯した過ち、隠れた罪」、「驕り」とあります。罪というのは、自分で罪だと認識していること、自覚していることだけではありません。自分では気づいていない罪というのもあるのです。そのことを考えますと、私たちはどこまでも罪がないと言い切ることのできない者です。この詩人の祈りを私たち自身の祈りとしていきたいと思います。

(むすび)
 今日の説教題は「私の贖い主」としました。これは今日の箇所の最後、15節の「主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ」という言葉から取りましたが、贖う、というのは、奴隷であった者を買い取って、奴隷から解放し、自由にするという意味です。私たちも以前は奴隷状態にあった者でした。何の奴隷だったでしょうか。私たちは、以前は罪の奴隷でした。その私たちを罪から贖うために、救うために、イエス・キリストは十字架にかかり、私たちを罪から解放してくださいました。
 罪から解放された者について、14節には、「重い背きの罪から清められ/わたしは完全になるでしょう」とあり、15節には「わたしの口の言葉が御旨にかない/心の思いが御前に置かれますように」とありました。完全になるとは、神さまによって罪から解放され、新しく生きる者となるということです。そして、その人は神さまのことを知り、神さまのみ心を求めていきますから、語ること、思うこと、その一つ一つが神さまのみ心と一致するようになるのです。新約聖書・コリントの信徒への手紙二3章18節の言葉を読んで終わります。
3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

祈り
恵み深い主なる神さま
 主は私たちの贖い主です。私たちが罪の奴隷であったのに、神さまはみ子であるイエス・キリストをお送りくださり、その十字架の贖いにより、私たちを罪から解放してくださったことを心から感謝します。
 どうか、新たに主を信じ、神さまに造られた自分であることを知り、神さまの言葉に生かされて歩むことができますように導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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