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【礼拝説教】2022年42022年4月24日「キリストの証人として生きる」

聖書―ルカによる福音書24章36~53節
(はじめに)
 先週は、私たちの救い主イエス・キリストの復活をお祝いするイースター礼拝を行いました。多くの方々と一緒に神さまを礼拝することができて感謝でした。今日も復活されたイエスさまのことが書いてある聖書の言葉をお読みしました。
 イエスさまは復活されました!イエスさまの弟子たちはイエスさまが復活されたのは本当だった!と喜んで、イエスさまの復活を分かち合いました。それはまるで先週のイースター礼拝に集まって来た私たちのようでした。そこに何と、復活されたイエスさまがおいでになりました。こう書いてあります。「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた」(36節)。
 イエスさまは弟子たちの真ん中に立ちました。そして今、イエスさまは私たちの真ん中におられます。この教会の真ん中に、中心にイエスさまがおられるのです。私たちの真ん中に、中心におられるイエスさまはこのように語られます。「あなたがたに平和があるように」。
私たちは戦争が起こっているニュースを聞きますと、とても悲しく思います。戦争によって、大切な人の命が失われます。体や心が傷つく人、生活ができなくなる人も出てきます。一つも良いことはありません。私たちは戦争が終わりますように、戦争がこの世界からなくなりますように、と願います。戦争ではなく、平和が来ますように、と祈りたいと思います。
 戦争というのは、国と国、人と人の関係が壊れている状態です。お互いに仲良くできない、愛し合うことができない状態です。関係が壊れているというと、私たちも神さまとの関係がそうでした。神さまなんて知らない、関係ない、と考えていました。そういう私たちのところにイエスさまがおいでになって、あなたがたは神さまに造られた者、神さまに愛されている者なのだから、神さまを信じて歩みなさい、と教えられました。イエスさまが言われた平和、それは私たちと神さまとの関係、私たち人間の関係が正しい状態、仲良くなることを言います。
 イエスさまは「あなたがたに平和があるように」と言われました。それは私たちが神さまを愛すること、私たち人間がお互いに愛し合うことです。私たちは平和を求めて歩んでいきましょう。

(聖書から)
 復活されたイエスさまは弟子たちの前に現れてくださいました。弟子たちは、イエスさまが復活されたことを信じて、そのことを喜び、分かち合っていたはずでした。ところが、復活のイエスさまに出会ったら、信じられず、恐れおののいてしまった、というのです。そういう弟子たちに、イエスさまはご自身が復活されたことをお示しになりました。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」(38、39節)。私は幽霊ではないよ、ちゃんと手も足もあるよ、と言われました。そればかりか、弟子たちの前で焼いた魚をムシャムシャと食べられました(42、43節)。
 そして、イエスさまはご自分が復活されたことは、聖書が示していたことであるとお話しされました。イエスさまはご自分の弟子たちには、以前から、ご自分が聖書に書いてあるとおり、十字架にかかり、死なれ、復活されることをお話ししていましたが、弟子たちは聞いていても、忘れていたのでしょうか?何のことだか分からなかったのでしょうか?そういう弟子たちにイエスさまはていねいにお話しされました。
 45節には、このようなことが書いてあります。「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」。聖書の言葉、神さまの言葉が分かるために、イエスさまは私たちの心の目を開かせてくださるのです。私たちは聖書を読むとき、神さまの言葉が分かるように、私の心の目を開かせてください、と祈っていきたいと思います。
イエスさまは言われました。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(46~49節)。
ここに「あなたがたはこれらのことの証人となる」とあります。イエス様は、弟子たちに、あなたがたはイエス・キリストの証人になる、というのです。イエスさまの十字架と復活、つまり、イエスさまの救いを人々に宣べ伝える人になる、ということです。けれども、イエスさまは、イエスさまの救いをあなたがた人間の力で一生懸命に頑張って宣べ伝えなさい、とは言われていません。イエスさまはこう言われました。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」。ここに「父が約束されたもの」、「高い所からの力」とあります。これは何かというと、聖霊です。聖霊をあなたがたに送ります。あなたがたは聖霊の力によって、イエスさまの救いを宣べ伝えるようになるのです。
 続いて、50、51節をお読みします。
「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(50、51節)。ここに書いてあることは、イエスさまの昇天の場面です。イエスさまを信じて亡くなられた方のことを召天された、と言います。これは天に召されると書きますが、神さまのみ国に召された、という意味です。一方、この聖書の箇所では、昇天、天に昇ると書きます。イエスさまは復活され、四十日にわたって弟子たちに現れ、そして、昇天、天に上げられました(使徒1章3~11節参照)。弟子たちは、イエスさまとはもう会うことができなくなったのだろうか?と不安を抱いたかもしれませんが、イエスさまは弟子たちに聖霊を送ってくださることを約束されていました。これはヨハネによる福音書に書いてあります。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14章16節)、「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネ14章26節)。この「弁護者」、これは「助け主」(口語訳、新改訳)とも訳されます。これが聖霊のことです。主は天に上げられますが、聖霊が送られ、この方が私たちと共におられ、救いを宣べ伝えるのです。聖霊について、内住のキリスト、私たちの内におられるキリストとも言われます。

(むすび)
 今日の聖書の最後の言葉をお読みします。
「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」(52、53節)。弟子たちはイエスさまの昇天、天に上げられた様子を見ました。そして、イエスさまを伏し拝んだ、ということです。彼らはイエスさまが聖霊をお送りくださるという約束を信じ、大きな喜びに満たされて、エルサレムに戻り、そこで何をしたかというと、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」とあります。「絶えず」とあります。これは「いつも」(新改訳)とも訳されます。絶えず、いつも神さまを賛美していた。これがイエスさまを信じる人の生き方、歩みです。絶えず、いつも、神さまを賛美して生きる、歩む。私たちもそのような生き方、歩みを続けていきましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 イエス・キリストは十字架にかかり、死なれ、葬られましたが、復活されました。主は生きておられます。二千年前の弟子たちはすぐには信じられませんでしたが、信じる者とされました。私たちも福音を聞いてもすぐには信じられませんでしたが、信じる者とされました。それは主が弟子たちの、そして、私たちの心の目を開いてくださったからです。そのことを知る私たちは、自分の家族が、自分の友人がイエスさまを信じることができるように、主がその一人一人の心の目を開いてくださるように祈り、あきらめないで福音を伝え続けることができるように導いてください。
 今日も私たちは教会に集い、神さまを礼拝しました。絶えず、いつも主を賛美し、礼拝する者でありますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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