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バプテスマは新しい自分の誕生日(エフェソ4章17~24節) 【週報巻頭言】2024年3月10日

だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。(エフェソ4章22~24節)

私たちの信仰生活、主にある歩みというのは、脱ぎ捨てて着る、ということの繰り返しです。では、何を脱ぎ捨てるかというと、ここには「古い人を脱ぎ捨て」とありました。古い人とは、神さまを知る前の私たちのことです。罪に支配された古い私たちのことです。それを脱ぎ捨てるのです。バプテスマ式で読まれる聖書個所(ローマ6章1~14節)では、この「古い人を脱ぎ捨てる」という言葉が「罪に対して死んだ」(ローマ6章2節)という言葉で言い表されています。バプテスマというのは、お葬式にも例えられます。罪に支配された古い自分が死ぬのです。

「心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け・・・」とありました。「新しい人を身に着け」る、「心の底から新たにされ」る。けれども、私たちが本気で罪と向き合う時、自分の力では、自分でどんなに努力しても、それができないことに気づかされます。パウロは、そのことをこのように語っています。「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。・・・わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ7章18、24節)。パウロも、そして、私たちも罪に対して太刀打ちできない惨めな者です。しかし、そういう私たちを神さまが新しくしてくださるのです。私たちは、自分の力、努力では新しくなることはできませんが、古い人から新しい人へ、そのことを神さまに祈り求めていくのです。神さまは私たちの祈りに応えてくださり、私たちを罪から救い出し、新しい歩みへと導いてくださいます。バプテスマは罪に支配された古い自分のお葬式と言いましたが、バプテスマは神さまと共に生きる新しい自分の誕生日でもあるのです。神さまが、私たちを新しい人として生まれさせてくださり、日々、成長させてくださることを信じて、歩んでいきましょう。

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