神さまの愛から始まる(ヨハネの手紙一2章1~6節) 【週報巻頭言】2024年9月8日
神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。(一ヨハネ2章6節)
イエスさまが歩まれたように歩もうとする。それが、クリスチャン、キリスト者です。しかし、なかなかそのように歩むことのできない私たちです。イエスさまの歩みを示す聖書の言葉を聴いて、これを生活の中で実行しようと努めますが、実行しようと努めれば努めるほど、自分がいかに神さまの愛から遠い者であるか、愛の乏しい者であるか、気づかされるばかりです。
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。(一ヨハネ4章7、8節)。
同じヨハネの手紙一4章には、聖書の中心的な内容と言ってもよい言葉が書かれています。「互いに愛し合いましょう」。これが、私たちに対する神さまの命令です。聖書には、たくさんの言葉が書かれていますが、神さまの命令、それはただ一つ、「互いに愛し合いましょう」、愛する、ということです。
愛することを実行しようとしてもなかなかできない私たちですが、この聖書個所には、このようなことが書かれています。「愛は神から出るもの」、「神は愛」。これはどういうことかというと、私たちには愛がないということです。そして、愛というのは神さまから出るもの、神さまご自身が愛だということです。それでは私たちはどうしたらよいかというと、愛である神さまから愛をいただくのです。愛を受け取る。神さまはこの私を愛しておられる。私に向けられた、注がれた神さまの愛を知り、それを受け取っていく。神さまの愛が私たちを変えるのです。そして、そこから、愛する、という生き方が始まっていくのです。
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