ARCHIVE

アーカイブ

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 説教
  4. クリスマス・イヴ礼拝 さあ、ベツレヘムへ行こう ルカによる福音書2章8〜20節 2024/12/24

クリスマス・イヴ礼拝 さあ、ベツレヘムへ行こう ルカによる福音書2章8〜20節 2024/12/24

さあ、ベツレヘムへ行こう ルカによる福音書2章8〜20節 2024/12/24 赤塚教会クリスマス・イヴ礼拝説教

12/24htt(火) 7:00pm – 8:00pm クリスマス・イヴ礼拝
クリスマス・イヴ当日 YouTubeライブ配信をいたします。
録画は限定公開とさせていただきます。
ご覧になりたい方は、その旨下記メールにてご連絡ください。
別途URLをお伝えいたします。
akatsukakyokai@gmail.com
※イヴ礼拝では、聖書朗読とクリスマス・ページェント、
メッセージと祈り、賛美でプログラムが進行いたします。

聖書―ルカによる福音書2章8~20節
(はじめに)
クリスマスおめでとうございます。このクリスマス・イヴの時に、皆さんと一緒に教会でクリスマスをお祝いすることができることを心から感謝します。クリスマスとは、キリストを礼拝する、という意味です。今まさに、そのことを皆さんと一緒に行っています。これからのひと時、ご一緒に聖書からクリスマスの出来事を分かち合っていきたいと思います。

(聖書から)
今から二千年ほど前に、ユダヤのベツレヘムで救い主イエス・キリストはお生まれになりました。聖書には、そのことについて、このように書かれています。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
イエスさまの両親であるヨセフとマリアは、住民登録のために、住んでいたナザレの町から、出身地であるベツレヘムの町に行きました。これは、東京から静岡ぐらいの距離だそうです。マリアは、お腹に子どもを宿していました。二千年前のことですから、新幹線も自動車もありません。それは大変な旅でした。何日もかけて、二人はようやくベツレヘムに到着しましたが、その旅先で、身ごもっていた妻のマリアは初めての子どもを産んだ、ということです。
産まれた子ども、その子供こそは、イエスさまでした。赤ちゃんのイエスさまは飼い葉桶に寝かされていた、ということです。先ほど、クリスマス・ページェントが上演されました。クリスマス・ページェントとは、降誕劇、イエス・キリストがお生まれになった出来事が表されている劇です。もしかすると、皆さんの中でも、学校で、幼稚園で、イエスさまの降誕劇に出演したことがある、という方がおられるかもしれません。このクリスマス・ページェントでは、東方からやって来た博士たち、野原で夜通し働いていた羊飼いたち、元気な小羊たちもいました。ヨセフさん、マリアさん、赤ちゃんのイエスさま。そして、神さまの大切なことばを伝える天使さん。聖書は、今から二千年前のクリスマス、世界で初めのクリスマスは、こういう人たちが集まって、みんなでイエスさまのお誕生をお祝いした、と書いています。今でこそ、クリスマスというと、世界中でお祝いされるとても賑やかな、華やかなお祭りになっていますが、最初のクリスマスは、本当に静かな、小さなクリスマスだったのでしょう。イエスさまとその家族は、宿屋に泊まることができず、おそらく、決して衛生的とは言えない家畜小屋を宿にしていたようです。
さて、最初のクリスマスは、博士たち、羊飼いたちがイエスさまをお祝いしたということですが、今日は、羊飼いたちについて聖書から聴いていきたいと思います。羊飼いたちについて、聖書にはこのようなことが書かれていました。
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
羊飼いたちは、自分たちの飼っている羊たちを守るために、寝ずの番をしていたということです。羊飼いの仕事とは何かというと、羊を養うこと、守ることでした。羊に必要な餌や水を与えたり、健康を整えたり、羊が獣に襲われることがないように、泥棒に盗まれることがないようにすることでした。その羊飼いたちに驚くことが起こります。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
主の天使が羊飼いたちに近づいた。そして、主の栄光が周りを照らした、というのです。羊飼いたちはとても恐れました。主の栄光というのは、神さまの光のことです。その神さまの光が羊飼いたちを照らしたというのです。羊飼いたちは、毎晩、羊の世話をするため、夜通し働いていました。羊飼いの仕事というのは、世の中の表に立つこともない、地味な仕事であったと思います。諸説ありますが、この時代、羊飼いという職業に携わる人たちは、決して恵まれた境遇ではなかった、と言われます。
けれども、聖書はこのように語ります。「主の栄光が周りを照らした」。ある牧師先生は、このことについて、神さまの光が羊飼いたちを照らした。神さまのスポットライトが羊飼いたちに当てられた、と言われます。真夜中でも眠ることなく、黙々と羊の番をしながら、自分たちは誰からも知られることなく、注目されることもなく、ひっそりと生きていく者なのだ・・・。羊飼いたちはそう思っていたかもしれません。しかし、神さまの光が彼らを照らした、神さまのスポットライトが彼らに当てられた、というのは、神さまは、あなたがた一人一人のことを知っている、気にかけている。いやもっと言うと、注目している。それは、神さまにとって、あなたがたは大切な存在なのだ、ということではないでしょうか。
聖書のイザヤ書43章4節には、このような言葉があります。「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」(ている)。ここで「わたしの目」というのは、神さまの目、神さまのまなざしということです。私たちは、自分のことを自分の目で見て、自分はこういう人間だろうと考えます。あるいは、他人の目から見て、他人の評価を聞いて、自分はこういう人間だろうと考えます。
しかし、聖書は、私たちに、神さまの目から見た私ということを教えるのです。神さまの目から見たら、私はどういう人間なのでしょうか?もう一度、今の聖書の言葉を読んでみます。「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」(ている)。神さまの目から見たら、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。私たちは、自分や他人から、自分の価値を考える必要はないのです。神さまの目から見た私を知ることが大事なことです。
ある人が相談に来ました。「私は大きな失敗をしてしまいました。もうダメです。家族にもお前はダメだ、と言われました。私はどうしようもない人間です。もう人生をやめてしまいたい、生きていても仕方がありません・・・」。とても嘆いておられました。その話を聞いた後、私はこのようにお答えしました。「失敗したことは、確かに辛いことです。けれども、失敗したから、あなたはダメな人間ということではありません。私たちをお造りになった、私たちを愛しておられる神さまから見た自分ということが大事です」。そう言って、「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」(ている)。この聖書の言葉を紹介しました。
私たちも、ああ、ダメだ、と嘆いてしまうことがあると思います。願っていたことがうまくいかなかった。自分自身に失望してしまう。でも、私たちは、神さまがおられること、神さまの目から見た自分ということを忘れないでいたいと思うのです。神さまの目には、私たちは決してダメな者ではありません。神さまは、私たちに言われるのです。あなたは高価で尊い。神さまはどんなあなたであっても、変わることなく、愛しておられる。これが、聖書が私たちに語るメッセージ、神さまからのメッセージです。
主の天使というのは、神さまからのお使いです。神さまからの大切なメッセージを伝えるお使いです。主の天使は羊飼いたちにこのように言いました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。これが、天使が伝える神さまからのメッセージです。
「民全体に与えられる大きな喜び」とありました。神さまは、大きな喜びを与えると言われるのです。このことについて、三つのことを聴いていきたいと思います。
神さまが与える大きな喜び。まず、第一に、それはいつ与えてくださるのか、ということです。ここには、「今日」とありました。今日、今です。今日、今、神さまは大きな喜びを与えてくださるというのです。
第二に、では誰にその大きな喜びを与えてくださるのでしょうか。ここには、「あなたがたのために」とありました。「あなたがた」、それは、羊飼いのことであり、今、このメッセージを聴くあなたのことです。
そして、第三です。「大きな喜び」とは何でしょうか。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」とありました。「大きな喜び」とは、「救い主」のこと、「主メシア」、イエス・キリストのことです。
神さまは、今日、あなたに、イエス・キリストを与えてくださった。それが、クリスマスの出来事なのです。イエス・キリストこそが、神さまからのプレゼントなのです。

(むすび)
皆さんは、この話を聞いて、どのように受け止められるでしょうか?羊飼いたちは、天使から聞いた神さまからのメッセージを受け止めて、聴いた言葉から、このように行動したのです。
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
神さまが、私たちに与えてくださった大きな喜びである救い主、この方に会いに行こう!この方がおられるベツレヘムへ行こう!と話し合い、彼らは、飼い葉桶に寝かせてあるイエスさまのところへ行き、イエスさまに会うことができました。
イエスさまに出会った羊飼いたちの様子が、このように書かれています。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
羊飼いたちは、神さまが、私たちに素晴らしいプレゼント、救い主を与えてくださった、と喜びました。先ほど、一つの聖書の言葉を読みました。「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」(ている)。神さまは私たちをかけがえのない存在としておられる、私たちを愛しておられる。神さまが与えてくださった救い主が、私たちの人生を一緒に歩んでくださるのだ!幼子のイエスさま、小さな赤ちゃんのイエスさまに出会った羊飼いたちは、そのことを信じたのではないでしょうか。そして、信じる喜びが溢れて、彼らは、イエスさまに出会ったことを人々に知らせたのです、神さまを礼拝し、賛美したのです。
クリスマスは、その場かぎりのお祝い、お祭りで終わりません。神さまがお送りくださった最高のプレゼントであるイエス・キリストをその心に、人生にお迎えするなら、新しい人生が始まります。皆さんもどうか、今日、今、イエス・キリストをお迎えして新しい歩みをされますように心からお祈りいたします。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
今年もクリスマスを迎え、ただいまはクリスマス・イヴ礼拝を行っています。みんなでイエスさまがお生まれになったこと、私たちのところに来てくださったことを喜び、賛美をささげています。
今日、私たちのために、救い主がおいでになった、という神さまからのメッセージを受け止めて、神さまからの最高のプレゼント、イエス・キリストをお迎えする方がありますように導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

記事一覧

アーカイブ

月を選択