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聖書の画像 板橋の教会

感謝と悔い改めに生きる(創世記8章1~22節) 【週報巻頭言】2025年6月15日

ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。(創世記8章20節)

洪水の後、ノアが箱舟の外に出て、まず行なったこととは、「主のために祭壇を築いた」ということでした。「そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた」というのです。これは、神さまを礼拝した、ということです。「焼き尽くす献げ物」をささげた、というのは、古い聖書の訳では「燔祭」(口語訳)となっていました。これは罪の赦しのための犠牲の献げ物です。ノアは何よりもまず、神さまを礼拝したのです。そして、罪の赦しを求めたのです。ここでおぼえたいことは、ノア自身は、神さまに従う人でした。神さまに対して罪を犯さないように生きてきた人でした。そのノアが罪の赦しを求めた、というのは、どういうことでしょうか?それは、ノアは自分も含めて、すべての人間の罪の執り成しをした、ということではないでしょうか。このことを思う時、私たちは礼拝に集い、神さまの恵みを感謝すると共に、自分の罪の悔い改め、また世の罪の悔い改めを祈る者でありたいと思うのです。私たちは、平和を求めて祈りますが、平和をもたらさない原因は何かというと、私たち人間の罪が原因です。人が人を支配しようとする、国が国を支配しようとする・・・。罪とは、神さまの愛と義から離れ、自己中心に生きることです。悔い改めとは、自分が罪の生き方をしていたことを神さまの前に認め、赦しを願い、神さまの愛と義を求めて生きることです。悔い改めて生きるとは、日々、新しく生きるということです。

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