
あなたは神に喜ばれている者(マタイ18章10~14節) 【週報巻頭言】2025年6月29日
あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。(マタイ18章12~14節)
イエスさまは、一つのたとえ話を語られました。この話は、どこかで聞いたことがあると思われた方があるでしょう。ルカによる福音書15章4~7節にあるイエスさまのたとえ話とほとんど同じ内容です。百匹の羊を持っている人がいて、その中の一匹が迷い出たらどうするか、という話です。その人は、その一匹を必死で捜しに行きます。そして、その一匹が見つかったなら、それは大きな喜びとなるというのです。「迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶ」とありますから、この話を読んで、「それでは、迷った方がいいのか?見つけ出してもらったら喜んでもらえるから」と言う人がいますが、これはそういう話ではありません。おそらく、百匹の羊を持つ人にとっては、どの一匹も大切な一匹だと思います。ですから、迷い出てしまった、いなくなってしまった、ということが、どんなに大きな悲しみであり、それが見つかったら、どんなに大きな喜びであるのかを示している話だと思います。そして、私たちが、この話を読む時、自分がこの迷い出た一匹だったことを受け止めていきたいと思うのです。この私を必死で捜し求めてくださった神さま。私は神さまに喜ばれている者。そのことをおぼえたいと思うのです。
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