
「神から生まれた者」ヨハネの手紙Ⅰ 5章1~5節 2025年7月20日
聖書―ヨハネの手紙一5章1~5節
(はじめに)
お読みした聖書個所はヨハネの手紙一です。ヨハネの手紙は一と二と三とあります。ただいまはこの手紙の一から学んでいます。前にもお話ししたように、この手紙は、ヨハネという人が書いたものと言われます。そのヨハネというのが、イエスさまの十二弟子の一人である使徒ヨハネと言われる人であったのか、それとも使徒ヨハネとは別の人物で長老ヨハネと言われる人、長老ヨハネというのは、この手紙の二と三の冒頭部分に出てくることから、そのように呼ばれるようになったようです。また、この手紙全体を読んでいきますと、ヨハネによる福音書と共通の内容が多くあることから、ヨハネによる福音書の著者とこの手紙は同じ人が書いたとも、この手紙の宛先の教会というのは、ヨハネによる福音書の言葉に触れていた人たちだったとも言われています。いずれも確かなことは言えませんが、何らかのつながりがあると考えられます。
(聖書から)
さて、聖書の内容に入っていきたいと思いますが、まず、5章1節です。
5:1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
「イエスがメシアであると信じる人」。ここには、「メシア」とあります。これはヘブライ語ですが、新約聖書の原語であるギリシア語では「キリスト」です。メシア、キリスト、その意味は、「救い主」ということです。イエスさまが救い主と信じる人について、その人は「神から生まれた者」とあります。神さまから生まれた者、どういうことでしょうか?
神さまから生まれた者。これを神さまから造られた者、ということで考えると、すべての人は神さまから造られた者ですから、神さまから生まれた者というのは、すべての人のことを言っているということになります。しかし、ここには、「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です」とあります。イエスさまはメシアだと信じる人、キリストだと信じる人。つまり、イエスさまを救い主と信じる人は、神さまから生まれた者と言っているのです。
先ほどは、このヨハネの手紙の宛先の教会というのは、ヨハネによる福音書に触れていた人たちということを言いましたが、そのヨハネによる福音書には、「神さまから生まれる」ということについて、次のようなことが書かれています(ヨハネ1章12、13節)。
1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
ヨハネによる福音書は、最初に「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネ1章1節)、こういう言葉から始まります。そうすると、ここで言われている「言」とは何だろう?と思います。ここで言われている「言」、これは、イエス・キリストのことです。ヨハネによる福音書が強調したいこと、それは、イエス・キリストは「言」、神さまの言葉そのものなのだ、ということです。
すると、今お読みしました「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」というのは、イエス・キリストは、ご自分を受け入れた人、イエスさまを信じる人々には神さまの子供となる資格を与えた、という意味になります。そして、そのことが、続くヨハネによる福音書1章13節では、「神によって生まれた」と言われています。
そして、この「神によって生まれる」ということが、同じヨハネによる福音書3章3節では、このような言葉で言い表されています。
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
ここでイエスさまは、「新たに生まれる」と言われました。私たちは、一人の人間として、この世に生まれました。そういう私たちにイエスさまは、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われたのです。「新たに生まれる」。皆さんは、この言葉を聞いてどういうことを考えるでしょうか?何か立派な人間に生まれ変わるということだろうか?そういう人間になるためには、一生懸命、善行を積まなければいけない、修行をしなければいけない・・・。いいえ、イエスさまが言われた「新たに生まれる」というのは、イエスさまを信じ受け入れるということです。イエスさまを信じ受け入れたら、イエスさまが、私たちを新たに生まれることができるように、神さまのみ手の中にある新しい人生を生きる者へと導いてくださるのです。
今日の聖書個所に戻ります。ヨハネの手紙一5章1節の後半には、「そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」とありました。「生んでくださった方」というのは、神さまのことです。「生んでくださった方を愛する人」とは、神さまを愛する人ということです。神さまから生まれた人、神さまによって新たに生まれた人は、神さまを愛する。そして、その人は、「生まれた者をも愛します」とありましたが、神さまによって新たに生まれた人のことをも愛します、ということが言われています。これと同じことが次の2節に書かれています。
5:2 このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。
ここには、私たちが、神さまを愛するように、神さまを信じるお互いを愛するように、ということが言われています。私たちは、この私は神さまに愛されている。そのことは知っている、信じているけれども、この私が神さまを愛する。この私が神さまを信じるお互いのことを愛する。そういうことは意識してきたでしょうか?神さまを愛することに努めてきた、心がけてきたでしょうか?
神さまを愛する。このことについて、3節にも書かれています。
5:3 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
神さまを愛するとは、神さまの掟を守ることとあります。神さまの掟とは何でしょうか?別の訳では、「戒め」(口語訳、聖書協会共同訳)、「命令」(新改訳、新改訳2017)と訳されています。掟とか、戒め、命令というと、堅苦しいイメージのように思うかもしれませんが、別の言い方をすると、神さまの言葉とか、神さまの教えということです。私たちがクリスチャンになって、聖書を読む、聖書を学ぶのは、自分が聖書の知識があると誇るためではないことがもう皆さんよく分かっておられると思います。それではなぜ、私たちが聖書を読むのか、学ぶのかというと、聖書から神さまの言葉、教えを知るため、そして、神さまの言葉、教えに従って生きるためです。それが、ここに書かれているように、神さまを愛することなのだ、というのです。
私たちが本当に愛する人、信頼する人と関わる時、相手の言葉を大切にすると思います。その言葉を通して、相手の気持ちや考えを知ります。そして、その相手が喜ぶこと、良いことは何だろうかと考え、そのために何かをしようとするでしょう。これは神さまとの関係においても同じです。私たちは、神さまを信じています。それは、神さまがこの私を愛している、私を大事な、大切な存在としてくださっている。そのことを知って、神さまを信じたのではないでしょうか。そして、愛されている喜び、感謝から、この私も神さまを愛する者、神さまの言葉、教えに従っていこうとするのです。それがクリスチャンの生き方です。
「神の掟は難しいものではありません」。別の訳では、「その命令は重荷とはなりません」(新改訳)となっていました。神さまに従うことは難しいことではない、重荷ではない・・・。どうでしょうか?いいえ、私にとっては、神さまに従うことは難しいこと、重荷です、と言われる方がおられるでしょうか?では、なぜ、難しいのか、重荷となっているのか、というと、自分の心を点検していただくとよいでしょう。自分と神さまとの関係、今、自分はどんな状態なのか?神さまの言葉を読み、聴き、祈りながら、そのことを考えてみるのは大事なことです。
(むすび)
4、5節をお読みします。
5:4 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5:5 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ」とありました。ここで「世」というのは、一般的な世、世界という意味ではありません。罪に支配された世のことが言われています。ですから、ここは、罪に打ち勝つ、と言い換えてもよいと思います。神さまから生まれた者、神さまを信じて、新しく生まれた者、その人は、罪に打ち勝つことができる、というのです。「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」とありました。罪に打ち勝つのは、信仰によることなのだ、というのです。信仰とは、神さまを信頼すること、神さまとつながることです。自分自身の力では、罪に打ち勝つことはできませんが、神さまを信頼し、神さまにつながることで、神さまが私たちを罪から打ち勝つようにしてくださるのです。
イエスさまはこのようなことを語られました(ヨハネ15章4、5節)。
15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」。イエスさまを信頼し、イエスさまにつながる。そうするなら、私たちは世の罪に打ち勝つことができるというのです。イエスさまと共に歩んでまいりましょう。
祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
私たちが神さまのみ子イエス・キリストを信じることによって、神さまから生まれた者、神さまのみ手の中にある新しい人生を生きる者としてくださったことを感謝します。
神さまは私たちを神さまのみ心に適った、神さまの喜ばれる生き方へと導いてくださっています。そのために、神さまのお考え、思いをみ言葉を通して語ってくださることを感謝します。
神さまは私たちに信仰を与えてくださいました。信仰とは、神さまを信頼すること、神さまにつながることです。主は「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と語られました。神さまにあって豊かに実を結ぶ人生を歩ませてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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