
罪と戦う群れとして(マタイ18章15~20節)【週報巻頭言】2025年7月27日
聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。(マタイ18章16、17節)
イエスさまは、あの手この手を尽くして、罪を認め、罪から離れることができるように努めることを語っておられます。このようなことから分かることは、教会は、罪と戦う群れであるということです。罪に陥っている人がいたら、その人が罪から離れることができるように、教会は、その人を支援していくのです。
この話の流れで、次の18節の言葉を聴いていきたいと思います。
はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタイ18章18節)
ここで「つなぐ」とか、「解く」というのは、どういうことかというと、「つなぐ」というのは、禁止するということです。一方、「解く」というのは、許可することです。「あなたがた」というのは、教会のことです。教会は、神さまから、罪を断罪すること、罪を赦すこと、その権限を託された群れであるということが言われています。それはとても責任重大です。だからこそ、次の言葉に続くのです。
また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。(マタイ18章19節)
ここだけを切り離して読むと、「どんな願い事であれ」とありますから、祈ることは何でも神さまはかなえてくださるのだ、ということが言われていると思うかもしれません。しかし、この言葉の前の個所では、罪の問題が取り扱われていましたから、そこからの流れで読んでいくと、このように理解することができます。一人の人が罪を認め、罪から離れることがいかに難しいことだろうか・・・。しかし、「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」。神さまはそういう私たちの祈りに応えてくださる。神さまが、その人が罪を認め、罪から解放されることを実現してくださる。私たちはそのことを信じて、神さまに期待していきたいと思うのです。
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