クリスマス礼拝「救い主を礼拝しよう」マタイによる福音書2章1~12節 2025年12月21日
(はじめに)
クリスマスおめでとうございます。今日の礼拝は、クリスマス礼拝として行っています。クリスマスとは、救い主イエス・キリストが私たちのところにおいでになったという出来事です。ルカによる福音書には、主の天使がマリアにこのように告げています。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(ルカ1章28節)。これを聞いたマリアの反応はこうでした。「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」(同29節)。おめでとう、と言われてもすぐにはその意味が分かりませんでした。しかし、マリアは、この後、イエスさまがお生まれになることを知らされ、おめでとうの意味が分かるようになっていきます。
私たちも、お互いにおめでとう、と言葉を掛け合っていきたいと思います。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。私たちにも神さまからの恵みが与えられました。神さまの恵み、それは私たちのところにイエスさまがおいでになって、イエスさまと一緒に歩むことができるということです。
(聖書から)
今日はマタイによる福音書のクリスマスの記事からお話しします。主の天使はマリアの夫となるヨセフにも、救い主の誕生を伝えました。救い主、イエス・キリストについて、インマヌエル、「神は我々と共におられる」(マタイ1章23節)と呼ばれるとありました。
そして、2章では、イエスさまがお生まれになった直後のことが書かれています。イエスさまに会いに、エルサレムにやって来たある旅人たちのことが書かれています。
2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
その旅人たちとは、占星術の学者たちのことです。多くの日本語聖書では、「占星術の学者たち」を「博士たち」と訳されています。この人たちは東の方からやって来ました。東の方というのは、アッシリア、バビロン、ペルシャなど、諸説あります。どこから来たのかははっきり分かりませんが、分かることは、イエスさまに会いに来た占星術の学者たちというのは、ユダヤ人ではありませんでした。その人たちがこのように言っています。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。
ユダヤ人ではない人たち、ユダヤ人からすると、異邦人、神から遠く離れた人とされた人たちです。ところが、その人たちが、ユダヤ人の王に会いにやって来たというのです。しかも、ただ会いに来ただけではありません。「拝みに来た」というのです。拝む、とは、礼拝するということです。ユダヤ人の王を礼拝するために、遠く東の方からやって来たというのです。この学者たちの声を聞いたユダヤの人たちのことが、このように書かれていました。
2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた」とあります。ユダヤ人の王に会いに来た。なぜ、ヘロデ王は不安を抱いたのでしょう。実は、ヘロデ王という人は、ユダヤ人ではありませんでした。ローマ帝国の支配下にあったユダヤ地方を治めるようにと命じられ、ユダヤの王となっていた人でした。ですから、ローマ帝国の力を恐れながら生きていた人でした。そういうヘロデ王でしたから、ユダヤ人の王と聞いて、不安に感じたのです。自分の存在を脅かす者が現れたのか、と考えたのでしょう。
そういうことですから、ヘロデ王が不安を抱くのは、当然のことです。ところが、不安を抱いたのは、ヘロデ王だけではありませんでした。「エルサレムの人々も皆、同様であった」と書かれています。エルサレムの人々がどうして、不安を抱いたのでしょうか?
不安を抱くとありましたが、これはエルサレムの人々だけのことではないと思います。私たちも不安を抱くのです。私たちのために王さまが来ましたよ!そう言われても、いえいえ、けっこうです。私には王さまなど要りません。なぜなら、私自身が王さまですから、私の人生の王さまは私ですから、と答えるのではないでしょうか。
ヘロデ王は不安になりました。そこでヘロデ王はユダヤの祭司長たち、律法学者たちに相談します。
2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
メシアというのは、占星術の学者たちが言っていたユダヤ人の王のことです。ユダヤの人たちは、メシア、これは救い主という意味です。救い主がおいでになることを待ち望んでいました。ヘロデ王は、聖書の言葉に詳しい人たちを呼び寄せて、救い主について尋ねました。彼らは聖書から答えました。救い主はユダヤのベツレヘムで生まれることになっていると聖書には書いてあると答えました。これを聞いたヘロデ王は占星術の学者たちを秘かに呼び寄せ、彼らの専門分野である星のことを尋ねています。占星術というのは、今で言うならば、天文学と星占いを合わせたようなものです。学問のようであり、占いのようなものです。ヘロデ王は、ユダヤの聖書の専門家と東の方から来た星の専門家の両方に尋ねたのです。そして、占星術の学者たちにこのように言いました。「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」。ヘロデ王も、ユダヤ人の王として来られた方、救い主を待ち望む人だったのでしょうか?いいえ、そうではありませんでした。救い主に会いに行って、拝みに行くつもりなどありませんでした。ただ自分の立場が危うくなるのではないか?と心配して、彼らに相談しただけだったのです。一生懸命に自分を守ろう、守ろうとするヘロデ王でした。でも本当に自分を守ってくださるのは誰でしょうか?ヘロデ王はその方を知りませんでした。
占星術の学者たちは、ヘロデ王に会って、聖書の言葉を聞いたのではないかと思います。聖書にもユダヤ人の王のことは書いてある。ヘロデ王の不安な心、心配な心とは対照的でした。そのことが書かれています。
2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
「喜びにあふれた」。これは直訳をすると、「ただ喜びに喜んだ」(岩波訳)、「非常に大きな喜びをもって喜んだ」(田川訳)となっています。少し変な日本語になりますが、喜びという言葉が繰り返されていて、彼らの喜びがどれほどの喜びであったかが想像できると思います。待ち望んでいたユダヤ人の王、救い主にお会いできると思ったら、本当に嬉しかったのでしょう。
空気のような存在。自分の家族のことをそのように言う人がいます。もしかすると、照れ隠しなのかもしれませんが、イエスさまのことを空気のような存在と思っている人はいないでしょうか?神さまの恵みを当然のことのように思ってしまう。救われて当たり前と思ってしまう。自分が神さまの前に一人の罪人である。そのことを忘れた時、私たちはイエスさまのことを空気のような存在にしてしまうのです。しかし、占星術の学者たちはそうではありませんでした。イエスさまに出会う前から、喜びにあふれていたのです。
2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
占星術の学者たちは救い主に会いました。彼らの様子がここに書かれていました。「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」。救い主を礼拝しました。そして、宝の箱を開けて、そこに入っていたものを贈り物として献げました。彼らは自分の最も大事なものを献げた、というのです。このことについてある人は、彼らは、今まで自分が王さまだった、自分の人生の王さまだった。でも、イエスさまに出会って、王さまの座をイエスさまに明け渡したのだ、と言っています。イエスさまを礼拝する。イエスさまを信じて生きる。それは、この方を自分の王とする、神とするということです。
(むすび)
2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
学者たちは、ヘロデ王のところには寄らずに、別の道を通って自分たちの国へ帰って行きました。ヘロデ王の道には行かなかったのです。ヘロデ王の道、それは、自分を王とする生き方のことです。彼らは救い主に出会って、生き方が変わったのです。別の道、それはイエスさまを王とする、神とする道であり、生き方です。彼らは救い主を自分の王とした、神としたのです。そして、イエス・キリストと一緒に歩み出したのです。クリスマスとは、イエスさまを礼拝することです。そして、イエスさまを自分の人生にお迎えすることです。救い主イエス・キリストをお迎えする方がありますようにお祈りいたします。
祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
ただいまクリスマスの礼拝を行っています。神さまは私たちに神さまと一緒に歩む新しい道、人生を生きるようにと、救い主イエス・キリストをお送りくださいました。
どうか、新たにイエスさまに出会って、イエスさまと一緒に歩む方がありますように導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
この記事へのコメントはありません。