愛は恐れを超えて(ルカ23章44~56節) 【週報巻頭言】2026年4月19日
さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。(ルカ23章50、51節)
アリマタヤのヨセフがイエスさまの十字架の死を見ていたかは分かりません。他の福音書などを見てみますと、主の死から少し時間が経った後の話のようです。この人は、ユダヤの議員だったようですが、「善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった」とあります。イエスさまを十字架にかけることには、同意していなかった、ということがここに書かれているようです。「善良な正しい人」、「神の国を待ち望んでいた」ともあります。他の福音書を見てみますと、イエスさまの弟子であった、ということが書かれています(マタイ27章57節、ヨハネ19章38節)。
しかしまた、アリマタヤのヨセフについて、ヨハネによる福音書には、このようなことも書いてあります。「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ」(ヨハネ19章38節)。イエスさまの弟子であることを、ユダヤ人たちを恐れて、隠していた。人を恐れて、主の弟子であることを隠してしまう・・・。私たちが福音を伝える時に大きな妨げとなること、それは何かというと、恐れ、このことではないかと思います。人からの批判、反対、そういったことを恐れて、なかなか福音を伝えられないでいるのではないでしょうか。
アリマタヤのヨセフは、イエスさまの十字架の死に直面して、恐れの心が少しずつ取り除かれていったのではないでしょうか。イエスさまが、この私のために命をささげてくださった。そのことを心から信じていった時、神さまの愛が分かり、恐れの心が取り除かれていって、イエスさまがこの私のためになさった愛に応えていきたい。今、自分ができることは何だろうか。自分の所有している墓にイエスさまの遺体を納めたい。イエスさまの十字架の死によって示された神さまの愛がこの人の生き方を変えていったのではないでしょうか。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」(一ヨハネ4章18節)と聖書は語っています。
この記事へのコメントはありません。