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【週報巻頭言】2023年5月14日 キリストにある大人として歩むために(一コリント14章20~40節)

兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。(一コリント14章20節)

「物の判断については子供となってはいけません」とありました。別の訳では、「物の考えかた」(口語訳)と訳されています。私たちの人生の歩みは、物の判断とありましたように、一歩進む時に、どうしようか、と判断し、また一歩進む時に、どうしようか、と判断しながらの歩みです。何も考えないで、歩んでいくなら、後で大変なことになってしまいます。

20節の後半には、こう書いてありました。「悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください」。「悪事については幼子となり」とありました。悪事、悪いことをたくらむ、計画する、ということです。あなたがたは、悪いことをたくらんだり、計画したりする必要はありません。そういうことは知らなくてもいい、関心をもたないでいなさい、というのです。そして、「物の判断については大人になってください」と続いています。

子供のように、幼子のように、ではなく、大人のようになってください、とありました。物の判断、物の考えについては大人になってください、というのです。「大人」という言葉は、原語の言葉から即してみると、「完全な人」という意味です。「完全な人」というのは、聖書の別の個所にも出てきます。

ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。(エフェソ4章13節)

完全な人。口語訳聖書では、「全き人」、聖書協会共同訳では、「完全な者」と訳しています。新共同訳聖書では、「成熟した人間」と分かりやすく訳されています。ここに書かれている言葉が示しているのは、一般的な意味の大人ではなくて、キリストにある大人、成熟した人ということです。ですから、私たちが、何かを判断をする時、キリストにある大人として、キリストにある成熟した人として、判断するようにしなさい、ということです。そのために私たちには、人生の地図、人生のカーナビが与えられています。聖書の言葉です。聖書の言葉を心に蓄え、そこから、考え、判断して歩んでいくのです。

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