どうして、そんなことがありえましょうか(ヨハネ3章1〜12節)
ニコデモは主が「新たに生まれねばならない」(7節)と言われたことに対して、「どうして、そんなことがありえましょうか」(9節)と言いました。新しく生まれるなんて、私にはできません、ということです。このニコデモの言葉は真実です。私たちは自分の力で新しくなろうと思っても、それは無理なのです、できないのです。そういう私たちのために、主はおいでくださったのです。自分では新しくなることも、自分で自分を救うこともできない私たちのために、主はおいでくださった。私たちが救われるため、新しく生まれるため、そのために必要なことは何か。それは神様が私たちのためにお送りくださった独り子であるイエス・キリストを信じることです。そうするならば、この方が私たちを日々、新たにさせてくださる、変えてくださるのです。私たちの心の闇、それを主は御自身の光で照らし、罪を示し、私たちを悔い改めさせ、新しく生きることを導いてくださいます。私たちは自分の中にある闇をそのままにしてはなりません。ニコデモは光を求めて、真の解決を求めて、主のもとに行きました。私たちも、主のもとに行き、すべてをきよめていただき、新しく歩んでいこうではありませんか。
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