教会を造り上げる(一コリント14章1〜19節)
ある方は、教会とは、神様を指揮者とする演奏楽団であると言いました。そうすると、私たちはそれぞれ神様から楽器を演奏するようにゆだねられている一人一人です。しかし、それが不協和音になっているようなことはないでしょうか。不協和音というのは、それぞれで勝手な演奏をするということです。好き勝手なことを言ったり、行なったり・・・。
私たちの教会の聖歌隊は一生懸命に賛美をささげています。それはすばらしい合唱となっています。なぜでしょうか。何時間も練習したからでしょうか?一人一人に優れた能力があるからでしょうか?私はその理由は、みんなが顔を上げて、一心に指揮者を見つめながら賛美するから、神様に心を向けて、神様のために賛美するからだと思います。私たちが一心に見つめるべきところはどこでしょうか。イエス様です。楽譜は聖書と言ってもいいと思います。イエス様を見つめていく、御言葉に聴いていく。そうするならば、教会は調和したすばらしい音を奏でることができる。神様の栄光を表す群れとして歩むことができるのです。
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