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強い人?弱い人?

 コリントの信徒への手紙一の8章、10章などには、偶像に供えた肉を食べることについての話が記されています。「わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい」(8章8、9節)。偶像の神などは人が作ったものであり、存在しない。だから、供えた肉を食べても何も問題はない。しかし、それを見てつまずく人がいるならば、あえて食べないという選択もある。使徒パウロはこのように、他者のために生きることを教えています。この箇所では偶像に供えた肉を食べてもかまわないと思う人たちのことが自らを「(信仰の)強い人」と考え、つまずく人たちのことを「(信仰の)弱い人」と言っていたようです。強い人は弱い人のために配慮するように、と言われているような内容ですが、神様の前には強い人、弱い人というのはないのではないでしょうか。神様の前にはだれもが等しく一人の罪人に過ぎない。強いと思う者は弱いと思う者を配慮し、弱いと思う者は強いと思う者に高い要求を突き付けない・・・。お互いが不完全な者、一人の赦された罪人であることをおぼえ、赦し合い、支え合うことこそが大事なことです。強いと思っている時、傲慢になっていたり、弱さを自己弁護に使ってしまったりする私たちですが、そういう者だからこそ、主は、主と共に生きること、他者と共に生きることを導いておられるのではないでしょうか。人は一人では生きていけず、信仰生活も全うできないのですから。

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