私たちは罪から救われた(ローマ1章18〜32節)
私たちは福音を聴き、福音に生かされ、その喜びから福音を人々に語ります。ある時、一人のお子さんが自分の前を通るご高齢の方に対して、「邪魔だ!あっちへ行け」と言いました。もしかすると、そのお子さんはご家庭でもそういう言葉を聴いているのかもしれません。もしかすると、そのお子さんもだれかに同じことを言われたこと、されたことがあるのかもしれません。何を聴いて育つか、何をされて育つか、そういうことを考えますと、親の責任、また私たち大人の責任は大きいです。私たちは福音を聴いて、主にある成長を遂げていきたいと思います。
今日の聖書(ローマ1章18〜32節)に書かれていますように、私たち人間の罪、それに対して私たちはしっかりと向き合わなければなりません。神様から離れた時、人間はこういうことになるのだ、ということは知らなければなりません。しかし、神様は私たちをそのままにはなさらないのです。私たちは光の子、神様の子供です。そういう私たちに対して、「神の慈しみと厳しさを考えなさい」(ローマ11章22節)とありますが、神様にとって私たちは大切な存在だからこそ、慈しみを持って、厳しさを持って、神様は私たちに関わり、共に歩んでくださるのです。私たちのために神様は御子イエス様を遣わしてくださいました。イエス様の十字架、私たちを罪から救うために御自分が傷ついて、痛んで、命をささげて、私たちを生きるようにしてくださった。その愛をいつもおぼえていたいと思います。そして、その愛に応えていく。与えられた命をよりよく生きていきたいと思います。
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