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神様がお与えになった務め(コヘレト3章1〜11節)

ここに労苦の問題が取り扱われています。先週はコヘレトの言葉4章4〜6節をお読みしました。そこから知ったことは、労苦、あるいは労働と言ったらいいでしょうか。その動機、目的、何のために人は働くのか、ということが言われていたように思います。今日の箇所では「人が労苦してみたところで何になろう」とありまして、労苦、労働の空しさが言われているようにも思えますが、続く10節には「わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた」とあります。ここに労苦についての一つの答えがあると思います。それは「神が人の子らにお与えになった務め」ということです。この「務め」と訳されている言葉は口語訳と新改訳では「仕事」となっています。そういったことを合わせてみますと、私たちの仕事というのは、神様が与えられたものということです。仕事、職業、ドイツ語ではベルーフと言います。そして、それは召命、神様からの召しという意味があるそうです。私たちがそれぞれ仕事をしている。それは確かに私たちがいろいろと努力して得たものであるかもしれませんが、信仰の視点から言うならば、神様が与えてくださったもの、今日の御言葉で言うならば、「神が人の子らにお与えになった務め」ということです。そうであるならば、信仰と仕事、それを分離し、二元的に考えるのではなく、仕事を通して、神様の御栄を表すことに努めるべきなのではないでしょうか。

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