み言葉をおさめること、み言葉が根を下ろすということ(ヨハネ8章31〜38節)
ヨハネによる福音書8章37節に「わたしの言葉を受け入れない」とありました。これを別の訳で見てみますと、口語訳は「わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていない」。岩波訳は「私のことばがおさめられない」とそれぞれなっていました。それぞれ意味の深い訳のように思いました。イエス様の言葉がおさめられない。それはなぜでしょうか?私たちの中にすでに別のものがおさまっているからではないでしょうか?最近、断捨離(だんしゃり)ということが流行りましたね。本当に必要なものとそうでないものを区別して、不必要なものは捨てていく。そして、本当に必要なもの、私たちにとっては何でしょう?本当に必要なもの、神様の言葉を心におさめていく。
神様の言葉が根を下ろすということ。み言葉が自分のうちにしっかりと根を下ろすようにするのです。すると、その人はみ言葉によって成長していきます。そのためには、み言葉を私に与えられた命の糧としていただくことです。み言葉の聴き方も様々ですが、私に与えられた命のパン、命の糧としてみ言葉を信じ受け入れていくのです。そのみ言葉が、イエス様が私たちに本当の自由を与えてくださいます。
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