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神の恵みによって今日のわたしがある(一コリント15章9、10節)

ローマ11章33〜36節に記されていることは、神様への賛美の言葉であると言われます。神様の秘められた計画、神様の救いのご計画は、私たちには測り知れないものであることの驚き、喜びがここに歌われている、神様の救いに対する心からの感謝がここに歌われているというのです。どうして、こんなにも救いを喜び、感謝できるのでしょうか?パウロは異邦人の救い、イスラエルの民の救い、そのことを心から祈り、そのために励んだ人でした。そのパウロ自身、自分の救いを心にいつもおぼえていたのです。パウロはコリントの信徒への手紙一15章9、10節で自分に与えられた救いについて、こう語っています。「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。
 大伝道者と言われるパウロですが、パウロ自身は自分のことを「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者」と言っています。そういう自分が「神の恵みによって今日のわたしがある」と言っています。自分は神様の教会を迫害していた。こんな私が救われた。これは驚くべきことだ!パウロにとって、救いは驚きであり、大きな喜びなのです。私たちはどうでしょうか?自分は救われるべくして救われた。救われるに値する人間。そう思っているでしょうか?そうではないはずです。自分が救われたこと、これはどんなに大きなことか。そのことを思ってみるとどうでしょうか。こんな私が神様の救いにあずかり、愛され、赦され、今あること・・・。「神の恵みによって今日のわたしがある」。そこから賛美が生まれます、賛美が溢れるのです。

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