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見続けること(創世記16章1〜16節)

ハガルは、神様はこの私を顧みてくださった、と言いました。エル・ロイというのは、私を顧みてくださる神様という意味だということです。「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」(創世記16章13節)。神様は私を顧みてくださった。そして、私も神様を見続けた。この神様を見続けるということが大事なことです。信仰というのは、神様を信じた、見た、というだけではなく、神様を信じ続ける、見続ける、継続していくことが大事なことなのです。ここで神様を見た、とありましたが、これはこの目で見るという意味ではありません。心で見ると言ったらよいと思います。神様を心の目で見続ける。神様を見上げ続けると言ったらよいかもしれません。
神様の約束を待ち望む私たちですが、待ち望み続ける、見続けるということは難しいことです。教会につながるということは、とても意味のあることです。同じ神様を信じる兄弟姉妹が互いに励まし合い、支え合って、共に主を見続けるように努めていくことができるからです。15節に、生まれた子供の名前について、イシュマエルと名付けたことが記されていましたが、このイシュマエルという名前の意味は「主がお聞きになる」ということだそうです。ハガルの心の叫び、苦しみを神様はお聞きになったのです。そして、私たちの心の叫び、苦しみも神様はお聞きになる方です。共に主を見上げていきましょう。

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