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2020年4月26日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「あなたがたの内なる人を強めて」

➡ 2020年4月26日 礼拝プログラム(クリックしてください)

(はじめに)

お読みしましたエフェソの信徒への手紙3章14節からの言葉、その初めにはこのようなことが書かれていました。「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります」(14節)。この手紙を書いたパウロは、自分は父なる神さまの前にひざまずいて祈ります、と言っています。ひざまずいて祈る。皆さんはお祈りをする時、どのような姿勢で祈るでしょうか。私の知り合いの牧師先生は、信仰の有志たちと一緒に集まって、歩きながらお祈りするということを聞きました。プレーヤーウオーキングというものだそうです。その地域に住んでいる方々のことを思って、イエスさまに出会いますように、と歩きながら祈るそうです。考えてみますと、お祈りというのは歩きながらでもできる、どこででもできるものです。
パウロはひざまずいて祈ります、と言いました。これはひざまずいて祈らなければならない、とか、お祈りをする時の姿勢が大事だ、とかいうことを言っているのではありません。ひざまずく、というのは、神さまに対する心からの敬意を表わしているのです。パウロはこの手紙に書いてあるように、文字通り、ひざまずいて祈ったと思います。けれども、目に見える姿勢だけでなく、心から神さまに祈ったことがここに示されているのだと思います。

(聖書から)

そういうわけで、今日お読みしました聖書の言葉はパウロの祈りです。最初に祈りの姿勢についてお話ししましたが、このパウロの祈りの言葉から示されることは、何を祈るか、ということです。私たちは何を祈っているでしょうか。イエスさまは、ご自分の弟子たちから祈ることを教えてください、と尋ねられた時、何を祈るべきか、教えてくださいました。それが「主の祈り」と言われる祈りです。私たちの教会では、毎月第一の日曜日に主の晩餐式の中でこの祈りを一緒に祈ります。「主の祈り」の言葉はこのようなものです。

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

イエスさまが教えてくださった祈り、それはまず、神さまのことを祈ります。そして、私たちのことを祈ります。この祈りを聞いてお気づきになった方があると思います。「我ら」、すなわち、「私たち」という言葉が繰り返されています。私たちは自分のこと、自分の家族のこと、自分の愛する、大切な人のために祈りたいと思います。しかし、それだけでなく、私たち、つまり、私の周りの人たち、私には直接は関わりのない人たち、そういう人たちのことにも思いを向けて祈っていきたいと思います。病や戦争、災害などで苦しみにある人たち、悩みにある人たちのことも思って、祈りましょう。「主の祈り」から教えられること、それは私たちの祈りであり、その祈りは自分に留まらず、拡がっていく祈りです。
15節にはこのような言葉が書かれています。「御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています」。ここに「その名を与えられています」とありました。名前が与えられている。先日、私たちの教会のメンバーにお子さんが生まれ、さっそく名前が付けられました。名前が付けられるというのは、その子は存在しているという意味です。ですから、「御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています」というのは、神さまは私たち一人一人を存在させてくださった、ということです。
神さまが私たちを存在させてくださった、神さまが私たちをお造りになった。教会は世の人々に真の造り主である神さまをお伝えします。それは、あなたをお造りになった方を知り、その方を信頼して生きていきましょう、というメッセージを伝えることです。私たちすべてのものは神さまから造られたものです。神さまはそのことを知らせるために、ご自分の大切なみ子であるイエス・キリストを私たちのところに遣わしてくださいました。そのことをおぼえながら、16、17節を読んでみましょう。
「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(16、17節)。お読みしました言葉の中に、「あなたがたの内なる人」とありました。また「あなたがたの心の内にキリストを住まわせ」とありました。神さまに造られた私たちに対して、神さまが求めておられることは私たちの心に神さまのみ子であるイエス・キリストを受け入れ、住まわせることです。
「内なる人」というのは、私たちの人格の部分のことです。私たちの心にイエスさまをお迎えすると、私たちの「内なる人」、人格が強められるというのです。人格が強いというと、何か気が強いとか、少々のことではへこたれない、という意味に思うかもしれません。でも、そういうことではないのです。キリストを私たちの心に住まわせたなら、パウロが祈っているように「あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」とありますが、愛に根ざし、愛にしっかり立つ人格に変えられていくというのです。聖書が示す人格の強さというのは、気の強さということではなく、愛する心が強くされるということなのです。
もう一度、この聖書の言葉を振り返ってみましょう。「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ」とありました。イエスさまを私たちの心に住まわせるためにはどうしたらよいか?というと、「信仰によって」とありましたが、信仰とは信頼ということです。神さまを信頼するということ、神さまに対して、心を開き、自分の人生をお任せするということです。イエスさまは私たちの心に住んでくださって、一緒に歩みたいと願っておられます。でも、私たちの側で、それは嫌です!と拒否していたら、イエスさまは私たちの心のドアの前で待っているだけになってしまいます。イエスさま、どうぞ、私の心にお入りください、私の人生に伴ってください、と心のドアを開くなら、私たちの人生は新しくなるのです。まだイエスさまをお迎えしておられない方がありましたら、どうぞ心のドアをお開きください。イエスさまと一緒に歩んでまいりましょう。

(むすび)

18節からお読みします。「また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」(18、19節)。イエスさまを心に受け入れるならば、その愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものであるか、人間の知識をはるかに超えた愛を知るようになります。神さまの豊かさにあずかります。これらのことは信じてみて分かることです。お読みした言葉の中に「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に」とありました。「聖なる者たち」とは誰のことでしょうか?ああ、それは教会のあの立派な人のことであって、自分は違う。そう思われる方があるかもしれませんが、「聖なる者たち」というのは、自分は聖なる者とは思えない、そう思っているあなたのことなのです!神さまは聖なる方です。この方を信じた人は聖なる者とされるのです。聖なる方である神様があなたを聖なる者として生きるように導いてくださるのです。そういう私たち、自分で自分を見つめるならば、不完全で、愛のない、小さな者、でも、神さまの目から見たら、あなたは聖なる者、かけがえのない大切な人、尊い存在とされているのです。だから、安心して歩みましょう。一緒に神さまの愛を見上げていきましょう。
お読みしました最後の言葉は教会の礼拝で最後に唱えられる頌栄です。「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン」(20、21節)。頌栄とは、神さまに栄光がありますように、という意味です。私たちもこの言葉にアーメン、その通りです、と言って、神さまに栄光がありますように、求めていきましょう。私たちがそのためにできることは、人々に神さまの愛をお知らせすることです。神さまがどんなに素晴らしい方であるかをお伝えすることです。今日から始まる一週間がそのことに励む一週間でありますようにお祈りいたします。

祈り

主なる神さま
私たちは会堂に一緒に集まることはできませんが、あなたは私たちの心をあなたに向けさせてくださり、心を合わせて神様を賛美し、礼拝することを導いてくださり、感謝します。
今日はパウロの祈りの言葉を読みました。イエス・キリストを心にお迎えして、神さまの愛を知ることができますように、という祈りでした。私たちも神さまの愛を知り、愛されている喜びに満たされて、神さまの愛に生きることができますように導いてください。
新しい一週間が始まります。神さまに栄光がありますように、という頌栄の言葉を聴きました。神さまが愛であること、神さまがどんなに素晴らしい方であるか、お知らせすることができますように。
主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン

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