【巻頭言】2020年5月31日 ヘロデ・アンティパスの悲劇(マルコ6章14~29節)
「その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである」(マルコ6章20節)。ヘロデ・アンティパスはバプテスマのヨハネの語る神さまの言葉を聞いて、喜んだ、とあります。神さまの言葉、福音とはこのようなものです。ヨハネはヘロデ・アンティパスにも悔い改めを語りました。悔い改め、それは心の向きを変えるということです。自分に向いていた生き方、自己中心の生き方から、神さまの方を向くように、神さまを中心に生きるように、他者のために生きるように。その言葉を彼は喜んで聞いたというのです。
ヨハネの語る神さまの言葉を聞いていた時のヘロデ・アンティパスの心の様子がこのように書かれています。「非常に当惑しながらも」。当惑したというのです。これは私たちも同じです。神さまの言葉を聞くと、私たちは当惑するのです。なぜなら、神さまの言葉を聞くと、私たちの今までの生き方、考え方、そういったものが問われたり、崩されたりもするからです。でもヘロデ・アンティパスは「なお喜んで耳を傾けていた」というのです。それは神さまの言葉を聞くことにより、私たちの心に光が照らされ、真理を知るという喜びです、本当のことを知るという喜びです。
この後、ヘロデ・アンティパスは妻ヘロディアにそそのかされて、ヨハネを殺してしまうことになります。その時のヘロデ・アンティパスについて、「王は非常に心を痛めたが」(26節)と書かれています。ヘロデ・アンティパス自身はヨハネから聞く神さまの言葉によって、真理を知る喜びを体験し、彼自身の心が、生き方が変えられようとしていた矢先のことでした。真理を選び取ることができないで終わってしまった。それはバプテスマのヨハネの悲劇というよりも、ヘロデ・アンティパスの悲劇であったと思います。彼が神さまの言葉、いのちの言葉に生きることができなかったという悲劇であり、神さまの悲しみでもあるのです。
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