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【巻頭言】2020年6月7日 神さまが与えてくださった私たち(エフェソ4章1~16節)

「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(11~13節)。

神さまはある人を使徒、預言者、福音宣教者、牧者、教師とされた、とあります。これは教会のリーダー、指導者たち、働き人のことです。これらの人たちのことを口語訳聖書では「~お立てになった」と訳されています。最新の聖書協会共同訳では「~お与えになりました」と訳されています。もちろん、神さまがその人たちをお立てになったわけですが、お与えになった、とありますように、神さまは教会に、教会に連なる私たちにその人たちをお与えになった、ということが言われているのです。

私たちはお互いのことをそのように考えてみたらどうでしょうか。この人は神さまが教会に、私たちに与えてくださった人。そう思ってみると、今まで以上に、お互いを尊重し合うことができるのではないでしょうか。私たちはお互いの関係が良くないときには、相手のことを、私はこの人を認めない。そういう考えになってしまうのではないでしょうか。けれども、私は認めなくても、神さまは認めておられる。そうすると、私たちは自分の考えを変えなければならなくなるのです。イエスを主と信じる。イエス・キリストに囚われた者。その人の生きる基準、秤、それは自分自身ではないのです。神さまはどのように考えておられるのか、どのように思っておられるのか。そのことを、聖書を通して知り、それに対して、自分を合わせていく、従っていくのです。

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