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【週報巻頭言】2021年2月28日 自分自身の内に塩を持つということ(マルコ9章42~50節)

塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。(マルコ9章50節)

イエスさまは弟子たちに、イエスさまを信じる小さな者を躓かせてはならないこと、小さな者を受け入れることを示され、弟子たちは、自分たちは何を求めていたのだろうか?何を目指していたのだろうか?と悔い改めへと導かれたことと思います。悔い改めというのは、生き方の方向転換ということです。自分たちの方ばかりを見ていた、向いていた、その向きを神さまの方へ向き直すことを示されたことでしょう。

そして、イエスさまはもう一つ大切なことを示されました。それはイエスさまを信じる小さな者、あのイエスさまが呼び寄せた子供というのは、弟子たち自身のことでもあった、ということです。誰が一番偉いか、大きくなろう、強い者になろう、と考えていた弟子たちでした。しかし、彼らも神さまの前には一人の子供に過ぎない、小さな者に過ぎない、ということです。

ある牧師先生はこう言っておられます。私たちがイエスさまを信じて生きようとすると、私たちは自分の力や誇りを捨てることになるから、小さくされ、弱くされていく。すると、そういう私たちを攻撃したり、惑わしたりして、信仰を失わせようとする者が私たちを苦しめる。けれども、イエスさまは私たちを一生懸命、守ってくださる、助けてくださる。私たちがすることは、自分自身の内に塩を持つこと、平和を保つこと。それは神さまの恵みを自分自身の中に蓄えること、というのです。

神さまの前に自分がどのような者であるか、そのことを知ることから信仰は始まります。いとも簡単に罪を犯してしまうような私たちは小さな者、弱い者です。そういう私たちを自分の力や誇りではなく、神さまの愛と恵みが生かすのです。

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