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【礼拝説教】2021年3月21日 「主に倣う者」

聖書―テサロニケの信徒への手紙一1章1~10節
(はじめに)
 お読みしました聖書の箇所はテサロニケの信徒への手紙一という手紙です。これはイエス・キリストの使徒であるパウロがテサロニケの教会に書き送った手紙です。パウロが第二回の伝道旅行をした時に、このテサロニケに教会が誕生したということです。使徒言行録17章にそのことが書かれていますので、後でお読みいただけたらと思います。その時、パウロと一緒に伝道したのが、シラスという人とテモテという人でした。それでこの手紙の最初の挨拶の部分に、パウロとシルワノ(これがシラスのことです)、テモテが手紙の差出人として書かれています。今、私はテサロニケに教会が誕生した、と言いましたが、教会はキリストの福音を伝道するところで誕生するのです。私たち赤塚教会も1959年にこの板橋区赤塚の地に誕生しました。誕生して、もう半世紀以上が経ちました。今年で62年になります。パウロたちがテサロニケの教会に対して、親が子供に対する思いと言ったらよいでしょうか、心から愛する思いをもって、書いたのがこの手紙です。ここにおいでになっている皆さんの中にも、この赤塚教会が誕生した時から、あるいは誕生して間もない時から、この教会のメンバーとなられた方もいるでしょう。神さまの愛によって誕生し、神さまの命によって生かされているのが教会です。私たちはそういう群れであることをおぼえながら、この聖書の箇所から聴いていきたいと思います。

(聖書から)
 まず、2~4節をお読みします。
1:2 わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。1:3 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。1:4 神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。
 パウロは祈りの度に、テサロニケの教会のことを思い起こしていると言っています。この教会のメンバーのことを神さまに感謝しているというのです。そして、この教会のメンバーについて、このようなことも言っています。「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」。この言葉を聞いて、お気づきになったと思います。三つのことが言われていました。「信仰によって働き」、「愛のために労苦し」、「わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐している」。信仰、希望、愛です。
 パウロは「愛の章」としてよく知られているコリントの信徒への手紙一13章で神さまの愛について語っています。その章の最後の言葉がこれです。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(一コリント13章13節)。ここにも信仰、希望、愛が語られていました。
 このように考えると、テサロニケの教会のメンバーというのは、とても素晴らしい、信仰深い人たちだったのだ、と思うかもしれません。信仰、希望、愛によって歩んでいる群れ。それからすると、私たちはどうだろうか?果たして、信仰、希望、愛の教会なのだろうか?と受け止めて、もっと頑張らなくては、しっかりしなくては、と思うかもしれません。
 しかし、テサロニケの教会だけが特別に信仰、希望、愛の教会だったわけではありません。私たち赤塚教会もテサロニケの教会と同じなのです。私たちの教会も、信仰、希望、愛の教会です。なぜ、そのようなことが言えるのでしょうか?それは、教会はイエス・キリストを頭としている、中心としているからです。教会の頭、中心であるイエス・キリストが私たちに信仰を与え、希望を与え、愛を与えてくださっているのです。その私たちに求められていることは、主が私たちに信仰、希望、愛を与えてくださったことを信じることです。パウロはテサロニケの教会に神さまが信仰、希望、愛を与えてくださったことを信じていたから、このように言ったのです。「神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています」。あなたがたが神さまに愛され、また神さまから選ばれ、信仰、希望、愛により歩んでいることを知っている。パウロはテサロニケの教会にこのようなことも言っています。
1:5 わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
 ここで言われていることは、パウロたちは主の福音を伝えるために働いたけれども、それは神さまの力、聖霊によることであり、神さまご自身の働きによることなのだ、ということです。そして、そのことによって、福音を聞いたあなたがたはどうなったのか、ということが続けて語られています。
1:6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、1:7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
 ここで興味深いことは、「ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって」(6節)ということです。苦しみと喜びというと、私たちは相反するもの、相容れないものと考えるのではないでしょうか?苦しみの中の喜び、そういうことがあるのでしょうか?苦しみの中から起こってくることは悲しみや嘆きといったものではないでしょうか?そう考えますと、この言葉は不思議な言葉のように思えます。ここで一つ注目したいのは、喜びというのが、「聖霊による」喜びと書いてあることです。聖霊による。神さまの方から来る喜び、神さまがお与えになる喜びと言ってもよいと思います。神さまは私たちが苦しみの中にあっても、そこでも喜びを与えてくださるというのです。先月までお読みしましたフィリピの信徒への手紙、これは別名「喜びの手紙」です。この手紙を書き送った時、パウロは牢獄にいたと言われます。ですから、この手紙は「獄中書簡」とも言われます。その獄中書簡が喜びの手紙と言われるのです。不思議なことですが、パウロは普通には喜ぶことのできない状況の中で、喜びに生きていたのです。それが今日のこの箇所では、聖霊による喜びと言われるものです。
 先ほどの聖書の言葉はこのように続きます。「聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり・・・」。パウロに苦難の中でも喜びをもたらしたもの、それは聖霊によることであったということ、またみ言葉を受け入れ、とありましたが、神さまの言葉を受け入れた、というのです。信仰について、ローマの信徒への手紙10章17節にはこのようなことが書かれています。
10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
 信仰はキリストの言葉を聞くことによって始まるとあります。聖書が教える信仰はキリストの言葉、神さまの言葉から始まる、神さまの言葉から考えるのです。例えば、自分にとっては大変苦しい、厳しい状況にあるとします。神さまの言葉から始まる信仰は、そのような時、もちろん、神さまに助けていただきたいと願い求めますが、それだけではなくて、神さまが今、この状況の中で私に語っておられることはなんだろうか?そのことを祈りの中で聴くのです。けれども、すぐに答えが出るとか、ああこういうことか、と納得し、理解し、ということはなかなかできないかもしれません。時間がかかることかもしれません。しかし、私たちは神さまに尋ね求め、対話しながら、歩むのです。そのようにして、神さまのみ心、お考えを知り、自分の思いや願いを超えて、主に従って生きることへと、主が与えてくださる本当の喜び、平安へと導かれていくのです。
 「わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり・・・」とありました。パウロはこう言っているのです。私たちが主に倣う、イエスさまに倣うことに努めているように、あなたがたも私たちと同じように主に倣いなさい。私たちも聖書から、イエスさまの生き方に倣います。またイエスさまの生き方に倣おうと努めた主の弟子たちの生き方に倣います。私たちの身近にいる信仰の先輩たちがイエスさまに倣うことに努めているなら、それにも倣います。イエスさまに出会った人は、イエスさまの救いを喜び、その喜びから、主に倣うのです。私もこの方の後に続きたい。この方の愛に倣って歩みたい。それが主に倣う者です。

(むすび)
1:8 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。
主の言葉が響き渡った、とあります。そのことがもっと具体的にこのように書いてあります。「神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられている」。主の言葉が響き渡った、というと、何か雷でも落ちて、周りにとどろき響いた、という感じがしますが、「神に対するあなたがたの信仰」、それは私たち一人一人の日常の中の主にある歩みのことです。私たちの歩みを通して、主の言葉、福音は伝えられていくのです。それはとても地味で、地道な働きです。私たち自身は小さな者で、小さな働きに過ぎないかもしれませんが、私たちを用いてくださる神さまによって、福音宣教は進んでいくのです。神さまが福音を響き渡らせてくださるのです。今日は教会総会です。新年度もこの小さな群れを主が用いてくださることを信じて歩んでまいりましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 信仰、希望、愛。パウロがテサロニケの教会へ書き送られた手紙の中にも、語られていました。私たちは教会、キリストの体です。教会の頭、教会の中心は主です。信仰、希望、愛とは主ご自身のことです。その主に倣って歩む群れとして、信仰、希望、愛の教会として導いてください。
 新しい年度が始まります。今日は教会総会です。今年度の歩みを主が導いてくださいましたように、新年度も主が導いてくださることを信じます。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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