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【週報巻頭言】2021年3月28日 子供のように神の国を受け入れる人(マルコ10章13~16節)

イエスさまの弟子たち。彼らはイエスさまを愛し、イエスさまに従っていた人たちでした。熱心に神さまを求めて歩んでいた人たちでした。その熱心さのあまり、弟子たちの間では、だれが一番、イエスさまに忠実に従っているか、ということを議論していたようです(マルコ9章34節参照)。私たちこそはイエスさまのこと、信仰のことはよく分かっている。しかし、子供たちを連れて来た人たちは、子供たちは何も分かっていない人たちだ。イエスさまはそういう弟子たちの心を知って、激しく憤られたのです。そして、言われたことが次の言葉です。

「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ10章15節)

「子供のように神の国を受け入れる人」とはどういう人のことでしょうか?子供、それは純粋とか、罪がない、ということではありません。むしろ、小さな者、何も持たない者、肉体的にも、心にも弱さを抱えた者、自分では罪に打ち勝つこともできない者を意味しているのです。そういう人たちは心から神さまを求め、頼るのです。

イエスさまの山上の説教、それはこのような言葉から始まります。「心の貧しい人々は、幸いである」(マタイ5章3節)。「心」というのは「霊」と訳される言葉です。ですから、霊において貧しい人々と訳すことができます。カトリックの方々が訳したフランシスコ会訳聖書では、この言葉の意味をよく捉えて、「自分の貧しさを知る人」と訳しています。自分の貧しさを知る人とは、別の言葉で言うと、自分に失望した人です。あるいは自分の弱さを知る人と言ってもよいでしょう。その人は自分を頼りにすることはできません。では何を頼りにしたらよいのか。神さまを頼りに生きるのです。今日お読みしました「子供のように神の国を受け入れる人」とは、そういう人のことです。

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