ARCHIVE

アーカイブ

  1. HOME
  2. ブログ
  3. メッセージ
  4. 【週報巻頭言】2021年3月21日 自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた(フィリピ4章10~23節)

【週報巻頭言】2021年3月21日 自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた(フィリピ4章10~23節)

物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(フィリピ4章11~13節)

パウロはフィリピの教会の人たちの心遣いを喜び、感謝しました。その話の中で、自分のこれまでの歩み、生き方についての証しをしています。11節の「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」という言葉は印象的です。自分の置かれた境遇。それは人それぞれでしょう。カトリックのシスターの渡辺和子さんの著書に『置かれた場所で咲きなさい』という本があります。この本の題名とパウロの言葉は似ていると思います。しかし、このパウロの言葉、渡辺和子さんの言葉を聞いて、そこで満足するとか、そこで咲くと言っても、置かれた境遇、置かれた場所によるのではないか?そんなことはなかなかできるわけがない!と言われる方があるかもしれません。

パウロのこの後の言葉を読んでみますと、貧しさにある時、豊かさにある時、という話が続けられ、パウロの置かれた境遇も様々であったことが言われています。しかし、その様々な置かれた境遇の中でも満足することができた、と言うのです。「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」とありました。習い覚える。パウロは自分の置かれた境遇に満足することがすぐにできた、というのではなかったかもしれません。貧しさや苦しみの中で、満足どころか、不平不満ということもあったかもしれません。それが習い覚えさせられたのです。「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(12、13節)。私を強めてくださる方のお陰で、自分の置かれた境遇に満足することができるようになったというのです。

パウロが自分の置かれた境遇に満足することができるようになったのは、渡辺和子さんが自分の置かれた場所で咲くことができるようになったのは、自分が一生懸命、努力して、忍耐して、ということが言われているのではありません。私を強めてくださる方によって、自分の置かれた満足することができるようになった、自分の置かれた場所で咲くことができるようになった、ということが言われているのです。そして、私を強めてくださる方、私を強めてくださる神さまというのは、どんな時も、どんな状況、場所でも、そこでも主は私と共にいてくださる、生きて働いておられる。その信仰によって、パウロは強められたのです。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

記事一覧

アーカイブ

月を選択