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【週報巻頭言】2021年5月30日 主が用いてくださるならば(マルコ11章1~11節)

マルコによる福音書11章1~11節には、イエスさまが子ろばに乗ってエルサレムに入城した様子が書かれています。エルサレムの人々は自分の服を道に敷いて、また他の人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた、ということです。弟子たちがイエスさまの乗られる子ろばの上に自分の服を掛けたこと、そして、エルサレムの人々が自分の服を道に敷いたこと、野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いたこと、これらの意味はイエスさまを王と認め、迎え入れたということです。人々は「ホサナ」と叫びました。これは「主よ、救ってください」という意味です。イエスさまを自分たちの王、救い主として迎え、救いを待ち望んだのです。

イエスさまを自分たちの王として迎える。自分たちの救い主として迎える。これは素晴らしいことです。私たちもイエスさまを神の子、救い主と信じているなら、エルサレムに入城されたイエスさまを歓迎した人々と同じと言えるでしょう。ところで、ここで一つ気になることがあります。それはイエスさまのエルサレム入城、王として、救い主として入城した場面ですが、正直なところ、あまり格好の良いものではなかったと思います。なぜなら、イエスさまはろば、それも子ろばに乗っているからです。その子ろばはまだ誰も乗せたがないというのですから、不慣れな様子で、右や左によろよろしながら、イエスさまをお乗せしたのではないかと想像します。しかし、イエスさまはこの子ろばについて、「主がお入り用なのです」と言われました。この子ろばこそは私が必要としているもの!そう言われたのです。小さな、弱々しい子ろば。まるで私たちのようですが、イエスさまは私たちにもこのように言っておられるのではないでしょうか。「主がお入り用なのです」。主は私たちを必要としてくださり、お用いくださるのです。

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