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神が取られたのでいなくなった(創世記5章1〜32節)

創世記5章に記されているエノクについて、24節には「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」とあります。神様が取られるというのはどういうことでしょう?ヘブライ人への手紙11章5節には「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました」と記されており、「神が取られた」ということを「死を経験しないように、天に移された」とヘブライ書の記者は説明しているようです。
エノクの箇所の特徴として、「神と共に歩み」という言葉があること、もう一つの特徴としては「死んだ」という言葉がありません。私たちはこのような聖書の箇所を読みますと、死を経験しない、それほどの立派な信仰者でありたい!と願うかもしれませんが、この「神と共に歩み」というのは、エノクだけの特別なことではないと思うのです。神様と共に歩む。それは神様を信頼し、神様に自分をお任せして生きるということです。そうであるならば、私たちもエノクと同じ歩みを続けているのです。
繰り返しますが、エノクについては、「死んだ」とは書いてありませんが、「神が取られたのでいなくなった」とありました。神様が取られた。それは神様が主語、神様が主体、神様が中心ということです。エノクの人生はまさにそういうものだったのです。歴史という言葉は英語でヒストリー、そして、それは「his story」、神様の歴史、神様の物語なのだという話を聞いたことがあります。私たちも私たちの人生は私たちのものではない。神様のお与えになった人生、神様が主体、神様が中心の人生。そのことを信じて歩んでいきたいと思います。

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