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【礼拝説教】2021年6月13日「天からの権威」

2021年6月13日(日)(朝・夕)礼拝説教「天からの権威」マルコによる福音書11章27~33節

聖書―マルコによる福音書11章27~33節
(はじめに)
 「わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである」(17節・イザヤ書56章7節の引用)。先週の説教でお読みした聖書の言葉です。ちょうど私たちの教会のリニューアル工事が終わった最初の日曜日の礼拝でこの聖書の言葉をとても印象深く読みました。イエスさまはエルサレムの神殿、神さまを礼拝する場所をこのように言われたのです。「私の家」。そして、「すべての国の人の祈りの家」。
 私はこの言葉を読みながら、イエスさまは私たちの教会のことも、「私の家」と言ってくださると思いました。そして、イエスさまが「私の家」と言ってくださっているこの教会のことも、すべての国の人の祈りの家と言ってくださっていると思いました。この教会がこれからも、神さまを礼拝する場所として、すべての国の人の祈りの家として用いられていくことを心から願っています。

(聖書から)
 今日お読みしました聖書の箇所は、先週お読みしましたイエスさまが神殿の境内の商人たちを追い出した出来事、「宮清め」と言われる箇所(15~19節)に続く内容です。祭司長、律法学者、長老たち、この人たちはユダヤの指導者的な立場にあった人たちですが、イエスさまに対して、あの神殿での出来事について質問しています。
11:27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、11:28 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」
 イエスさまが神殿の商人たちを追い出したことについて、何の権威で、そのようなことをしたのか?と尋ねています。何の権威で、ということですが、祭司長、律法学者、長老たち自身がユダヤにおいて権威ある立場にあったと自負していた人たちでした。その権威は、神さまから与えられた権威であると考えていました。そして、それによって、この神殿のことも管理していたのに、そこにやって来たイエスさまによって、大変な迷惑を被った。いったい、あなたは何のつもりで神殿の境内にいた商人たちを追い出したのか?と尋ねているのです。この質問に対して、イエスさまはこのように答えられました。
11:29 イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。11:30 ヨハネのバプテスマは天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」
 イエスさまは彼らの質問にはお答えになっていません。反対に、彼らに一つの質問を返しています。それに答えるならば、私はあなたがたの質問に答えよう、と言っておられます。イエスさまの質問はどんな質問だったでしょうか?それはヨハネのバプテスマについての質問でした。
 ヨハネという名前の人は聖書の中に何人も出てきます。ここでイエスさまが言われたのは、バプテスマのヨハネと呼ばれる人のことでした。バプテスマのヨハネのことは、このマルコによる福音書の冒頭に出てきます。1章4、5節を読んでみます。
1:4 バプテスマのヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。
 バプテスマのヨハネはイエスさまに先立って、悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。このマルコによる福音書1章2、3節には、旧約聖書・イザヤ書には、神さまが、イエスさまが福音を宣べ伝えるための道を備える者として、バプテスマのヨハネが遣わされることが書かれていると引用されていました。その人のことをイエスさまは祭司長、律法学者、長老たちに質問しているのです。バプテスマのヨハネが悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたのは、天から、つまり、神さまから遣わされて、行ったことなのですか?それとも、人から、つまり、ヨハネが自分勝手に行ったことなのですか?という質問です。
 私たちはこの質問にすぐに答えられると思います。先ほど、お読みしたマルコによる福音書の冒頭の言葉には、バプテスマのヨハネのことは旧約聖書にすでに預言されていたことであると書いてありました。バプテスマのヨハネは神さまから遣わされて、悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。私たちならば、そのように答えるでしょう。では彼らはどうだったでしょうか。
11:31 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。11:32 しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。
 彼らはすぐに答えた、とは書いてありません。「彼らは論じ合った」とあります。なぜ、論じ合う必要があったのでしょうか?この後に彼らの論じ合った内容が書かれています。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう」。これは、バプテスマのヨハネは神さまから遣わされて、悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた、と答えたならば、群衆から、それなら、なぜ、神さまから遣わされた人の言葉に耳を傾けることをしなかったのか?と問われるだろう、ということです。
 次にこのようなことも論じています。「しかし、『人からのものだ』と言えば……」。彼らはバプテスマのヨハネのことを神さまから遣わされた人であると認めていませんでした。ですから、こちらの方が彼らの本音、正直な答えなのです。ところが、「『人からのものだ』と言えば……」とあります。群衆はバプテスマのヨハネが神さまから遣わされた人であると信じていましたから、それを認めなかったとなると、彼らは群衆から批判を受けることになるのです。この後にはこのように書かれています。「彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである」。
 祭司長、律法学者、長老たち、彼らは、自分たちは神さまからの権威を与えられていると誇っていましたが、イエスさまの問いを受けて、自分の心の中を探られたのです。彼らは群衆を、人々の目、評判を気にしていました。群衆を恐れていた彼らはバプテスマのヨハネのことも、イエスさまのことも受け入れませんでした。なぜならば、バプテスマのヨハネも、イエスさまも、自分たちを脅かす存在だったからです。今日の聖書の最後の箇所をお読みしましょう。
11:33 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
 答えることに窮した彼らは「分からない」と言っています。昔、国会の答弁で自分に都合の悪い質問に対して、「記憶にございません」と答えた大臣がいましたが、それに似たような答弁です。これに対して、イエスさまは、何の権威でこのようなことをするのか、そのことについて、私もあなたがたに答える必要はない、と言われました。
 今日の聖書箇所について、新共同訳聖書には「権威についての問答」とありました。権威、このことについて言えば、イエスさまも、祭司長、律法学者、長老たちも、どちらも、自分は天からの権威、すなわち、神さまからの権威が与えられていると答えたと思います。しかし、イエスさまの質問を通して知らされることは、祭司長、律法学者、長老たち、彼らは神さまからの権威によって歩んできた人たちではなかったのです。彼らは群衆が怖かったのです。群衆を、人の目を恐れていたのです。神さまを畏れることはしないで、人を恐れて生きてきた人たちだったのです。

(むすび)
 天からの権威。皆さんは何の権威によって生きていますか?このように尋ねられたら、何と答えるでしょうか?私たちも天からの権威、神さまからの権威によって生きている者なのではないでしょうか。それでは、神さまからの権威によって生きるとはどういうことでしょうか。「私は神さまから権威を与えられて生きている!だから、この世の何ものも恐れない!」そういう生き方でしょうか?いいえ、神さまからの権威によって生きるというのは、自分は何の権威も持っていない。ただ神さまからの権威によって生かされているだけという生き方です。それは、人を支配することも、人に支配されることもしません。ただ神さまの恵みに支配され、神さまの恵みに従うという生き方です。

祈り
恵み深い主なる神さま
 天からの権威についての問答が書かれている聖書の言葉を読みました。自分たちこそは神さまからの権威によって生きていると考えていた人たちが、実は人を恐れていたこと、その一方で神さまから遣わされたヨハネやイエスさまのことは自分たちを脅かす存在として認めなかったこと、本当は神さまからの権威によって生きているのではない、神さまを畏れることをしない人たちであったことが知らされました。
 私たちも主の前に立つ時、その語られる言葉によって、自分の内側を問われます。そういう私たちですが、神さまからの権威によって生きる者としてください。神さまからの権威によって生きる者とは、神さまに対して白旗を上げる者、神さまの前に自分は何者でもない、ただ神さまの愛と憐れみによって生かされていることを知り、神さまへの感謝に生きる者です。どうか、私たち一人一人、神さまの前にへりくだらせてください。そして、日々、神さまに生かされている喜びに満たしてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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