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【週報巻頭言】2021年6月13日  私たちは生涯、求道者(一テサロニケ3章1~13節)

パウロは喜びに溢れて、このように語ります。

「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。」(一テサロニケ3章9、10節)

パウロの喜び、そして、祈りがここに書かれています。パウロは「あなたがたの信仰に必要なものを補いたい」と言っています。私たちはどうでしょうか?信仰の友から、あなたの信仰に必要なものを補いたいと願っていますよ、祈っていますよ、と言われたら、「ええ?私の信仰って、その程度のものですか?私の信仰って、まだ不十分なのですか?」そんなふうに受け止めるかもしれません。でも、考えてみますと、私たちの信仰というのは、その程度のもの、不十分なものなのではないでしょうか。もうこれで十分とか、大丈夫と言えるようなものではないのではないでしょうか。

私がある牧師先生の言葉でいつも思い出すことがあります。それは、「生涯、求道者」という言葉です。その先生が言われたのは、まだイエスさまを信じていない人、未信者の方で、信仰を求めている方について、求道者と言うけれども、イエスさまを信じた人も生涯、求道者なのではないか、ということです。私は本当にそうだと思います。イエスさまは言われました(マタイ7章7節)。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。この求めなさい、探しなさい、門を叩きなさい、というのは、誰に語られた言葉でしょうか?もうイエスさまを信じているから、私は求めなくてもいいです、というのなら、それは違うと思います。私たちも生涯、求道者です。生涯、求め続ける、探し続ける、門を叩き続けるのです。

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