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【週報巻頭言】2021年6月27日 すべての国の人の祈りの家(マルコ11章12~25節)

神殿の境内で商売する人たちを追い出した場面がマルコによる福音書11章15、16節にあります。イエスさまは神殿の境内で商売をする人たちのことを批判したのでしょうか、怒ったのでしょうか?いいえ、そうではありませんでした。「わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである」(17節)とあります。「わたしの家」。イエスさまは神さまを礼拝する場所を、「わたしの家」と言われたのです。イエスさまは、ここは「わたしの家」、神さまを礼拝し、神さまに祈る場所なのだ、と言われたのです。ところが、あなたたちはこの場所を強盗の巣にしてしまった。

イエスさまは商売そのものを批判しているわけではなく、当時のユダヤの宗教者たち、この人たちが神さまを礼拝する場所、神さまに祈る場所を強盗の巣にしてしまった、と言っているのです。不正が行われ、貧しい人たちを顧みないで、自分たちの利益追求のみを求め、神さまのみ心、神さまの愛と義を求めるようなことをしなかった。そのことをイエスさまはお怒りになったのです。

イエスさまが引用された聖書の言葉(イザヤ書56章7節、エレミヤ書7章11節)、そこには「すべての国の人の祈りの家」とありました。「すべての国の人」というのは、全世界の人たちということです。両替の場、鳩を売る場となっていたのは、神殿の中の「異邦人の庭」と言われるところでした。またエルサレムの神殿の中にはユダヤ人だけが入れましたが、ユダヤ人以外の人たち、異邦人は神殿の中に入れず、異邦人の庭で神さまを礼拝していたのです。これを現代の教会で例えていうと、ある国の人たちだけはこの教会の礼拝堂に入って礼拝してもよい。でも、他の国の人たちは外で礼拝しなさい、と言っているようなものです。イエスさまは当時のユダヤの宗教者たちの不正、そして、自分たち以外の国の人たちを差別していたことを批判されたのではないでしょうか。「わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである」。この神殿は、この教会は、世界中の誰もが集って、一緒に礼拝し、祈る場所なのだ、と言われたのです。

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