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【礼拝説教】2021年6月27日「主が来られる日まで」

2021年6月27日(日)(朝・夕)礼拝説教「主が来られる日まで」テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 4章13~18節

聖書―テサロニケの信徒への手紙一4章13~18節
(はじめに)
 先週お読みしました聖書の言葉(一テサロニケ4章1~12節)の中に「落ち着いた生活」(11節)ということが書かれていました。「落ち着いた生活」。それはどのような生活でしょうか?使徒パウロはテサロニケの教会に向けて、落ち着いた生活をするように、と勧めました。そのような勧めがあるということは、落ち着かない生活、落ち着かない人々がいたということでしょう。
 私たちも、今、コロナ渦にあって、落ち着かない日々を過ごしているかもしれません。ようやく緊急事態宣言が解除された。でも、引き続き、蔓延防止等重点措置であり、あれもできない、これもできない・・・。コロナ以前の生活に戻るのはいつのことだろうか?学校、職場、教会、それぞれ、先が見えない状況です。

(聖書から)
 お読みしました聖書はテサロニケの信徒への手紙一4章13節からになります。この箇所について、新共同訳聖書は「主は来られる」という小見出しが付けられています。先ほど、落ち着いた生活をするように、というパウロの勧めについて触れましたが、落ち着いた生活をしなさい。なぜなら、主が来られるから、とパウロは語っているのです。一方、この手紙を受け取ったテサロニケの教会の人たちにとって、落ち着かない理由というのは、13節の言葉から知ることができます。
4:13 兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
「既に眠りについた人たち」とあります。これは既に死んでしまった人たちということです。テサロニケの教会の人たちは、イエスさまがおいでになる日を今か今かと待ち望んでいました。このテサロニケの信徒への手紙一というのは、新約聖書の中で一番古い文書であると言われています。おそらく紀元50年頃ではないかということです。イエスさまが十字架にかかり、死なれ、復活され、そして、昇天されたのは、イエスさまは33歳ぐらいまで地上の生涯を歩まれた、と言われていますから、紀元30年前後でしょうか。それから、それほど年月も経っていない時期でした。当時の教会、初代教会の時代では、イエスさまはすぐにでも再臨される。再び、私たちのところにおいでになる、と考えられていました。そして、イエスさまがおいでになったら、教会に連なる私たちはみんなで喜んで、イエスさまをお迎えすることができる。そういう希望を持って、主を待ち望み、過ごしていたのです。
ところが、なかなか主はおいでにならない。そうするうちに、教会の人たちの中には、年を召されて亡くなる人、病気になって亡くなる人などが出てきました。すると、先に亡くなってしまった人たちはイエスさまの再臨に立ち会うことができなかった。彼らは果たして救われたのだろうか?そう考えて、落ち着かなくなってしまった人たちが出てきたのです。それに対して、パウロが語りかけた言葉、それが13節以下の言葉なのです。
「希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために」とあります。ここで言われている「希望」とは、イエスさまが私たちにお与えになる希望です。そのことを知らない、信じない人たちと同じように、嘆き悲しまないように、とパウロは言います。そして、次の14節には、その希望について語られています。
4:14 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
 イエスさまの復活、このことについては、イエスを主と信じている方なら、誰もが、私たちは信じている、と言うでしょう。イエスさまは十字架にかかって死なれたが、三日目に復活された。これが復活信仰というものです。しかし、復活信仰というのは、イエスさまが死んで復活された。このことを信じるだけでは不十分なのです。それだけでは復活信仰の半分だけを信じていることになるのです。ここでパウロは、もう一つ大切なことがあることを語ります。
 「神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」。神さまはご自分のみ子であるイエスさまを復活させたように、イエスさまを救い主と信じて、亡くなった人たちも、イエスさまと一緒に導き出してくださる。つまり、イエスさまを信じて、亡くなった人たちも、復活させてくださる。彼らも救いにあずかるのだ、と言うのです。
 このことは、パウロがテサロニケの教会の人たちを慰めるために、その場で考えて言ったことではありません。イエスさまも同じことを言われました(ヨハネ11章21~26節)。
11:21 マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。11:22 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
 自分の兄弟ラザロの死のことで、イエスさまに尋ねたマルタに対して、イエスさまが言われた言葉です。「あなたの兄弟は復活する」、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」。イエスさまはラザロの復活を語りました。
 今日の聖書の言葉に戻ります。15節には、このようなことが語られています。
4:15 主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
 ここには、私たちよりも先に主を信じて亡くなられた人たちのことがこのように語られています。その人たちは、私たちよりも先に復活の恵みにあずかる。16節以下にそのことがさらに詳しく述べられています。
4:16 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、4:17 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
 自分たちよりも先に亡くなってしまい、主の再臨に立ち会うことができなかった人たち。しかし、先に亡くなった人たちも、私たちも、一緒に復活の恵みにあずかることができるというのです。「主御自身が天から降って来られます」、「引き上げられます」ということから、これらのことは神さまの主体的な出来事として起こることが言われています。繰り返しますが、主の方から私たちのところに降って来られ、さらに主が私たちを引き上げてくださる、というのです。
 そして、私たちに与えられている復活の恵みとはどういうものか、17節にこのように語られています。「このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります」。復活、永遠の命、それは、私たちはいつまでも主と共にいる、ということです。先に亡くなった人も、後で亡くなった人も、今、生き残っている人も、主を信じる者はみんなこの恵みにあずかるというのです。

(むすび)
 そして、今日の聖書の最後の言葉です。
4:18 ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
 復活の希望、この言葉を信じて、互いに励まし合うように、とパウロは言います。この「励まし合いなさい」という言葉は「慰め合いなさい」とも訳すことのできる言葉です。私たち教会は励まし合うことのできる群れです。慰め合うことのできる群れです。なぜなら、この言葉を持っているから、この言葉を信じているからです。
 ある牧師先生は、この聖書の箇所から、このように語ります。「私たちには愛する人との地上における別れの悲しみがなくなるということはないかもしれない。けれども、『希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまない』(13節)でいられる。悲しみや寂しさはあるけれども、希望があるから、悲しみだけで終わらない」。
ちょうど先週の日曜日、6月20日は今から九年前に亡くなった父の誕生日でした。79歳で亡くなりましたが、生きていたら、89歳の誕生日を迎えるところでした。そういうタイミングで今日のこの聖書の言葉を読みましたので、私自身が大きな励まし、慰めを神さまからいただきました。時々、父のことを思い出しますと、この世ではもう会えないのか、と寂しい思いがしますが、終わりの日の希望が与えられていることを感謝したいと思います。主が与えてくださった希望、この約束を信じて歩んでまいりましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 主は再び来られます。初代の教会の人たちはこのことを信じて、主を待ち望みました。今を生きる私たちも主は再び来られる。このことを信じて、主を待ち望みます。
 今日の聖書の箇所から、改めて復活の信仰を教えられました。私たちの救い主イエス・キリストは私たちを罪から救うために十字架にかかり、死なれました。しかし、三日目に復活されました。そのことを信じる私たちも「イエスと一緒に導き出してくださいます」とありますように、主と一緒に復活させていただけることを感謝します。
 復活の恵み、それは「主と出会う」こと、「いつまでも主と共にいること」(17節)と語られていました。既に眠りについている私たちの愛する人たち、そして、私たちもやがてはこの恵みにあずかります。この希望を抱きながら、今は地上に遣わされ、旅人として歩む私たちですが、天の故郷に帰る日まで、主にある歩みを導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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