【礼拝説教】2021年11月21日「神のために力を合わせて働く者」
聖書―コリントの信徒への手紙一3章1~9節
(はじめに)
お読みしました聖書の中に、「霊の人」(1節)と「肉の人」(同)ということが出ていました。これはどういう人のことでしょうか?今日はコリントの信徒への手紙一3章をお読みしましたが、その前の2章には「信仰に成熟した人たち」(2章6節)と「自然の人」(2章14節)というやはり異なった人のことが出ていました。実は3章に出てくる人はこれと同じことを言っているのです。「信仰に成熟した人たち」というのが「霊の人」のことであり、「自然の人」というのが「肉の人」のことです。この違いは何かというと、「信仰に成熟した人たち」、「霊の人」というのは、自分の人生の中心を神さまにしている人です。一方、「自然の人」、「肉の人」というのは、自分の人生の中心を自分にしている人のことです。皆さんはどうでしょうか?自分はどちらだと思いますか?
ある人は、このように言われるかもしれません。「私はイエスさまを信じていますし、人生の中心はイエスさまだと信じています。でも、自分の人生の歩みを振り返ってみると、立派な生き方と言えるものではなく、とても人生の中心をイエスさまにしているとは言えません」。これは、とても正直な言葉だと思いますし、おそらく、皆さんも同じように言われるのではないでしょうか?私たちが一人、神さまの前に立つ時、自分の真実の姿を知る時、決して、自分の生き方は立派なものだとは言えない。そう思われるでしょう。けれども、イエスさまを自分の人生の中心にして生きていきたい、と願っているなら、その人は「信仰に成熟した人たち」、「霊の人」なのです。大事なことはできるか、できないか、ではなく、決心して生きることです。
イエスさまはこのように言われました(ヨハネ15章4、5節)。
15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
この言葉でお分かりのように、イエスさまはぶどうの木、私たちはその枝です。私たちはイエスさまにしっかりつながっているならば、実を結ぶことができます。でも、イエスさまにつながっていないならば、実を結ぶことはできません。私たちは自分の力で、自分の頑張りで立派な人生を生きることはできないのです。しかし、イエスさまにつながっていくならば、その人の人生は豊かに実を結ぶ、というのです。
ある方が、近所の人にこう言われたそうです。「毎週、教会に通っているけれど、神を信じるほど、あなたは弱いのですか?私など、神にも仏にも頼りませんよ。結局は自分の力が頼りですから」。そのように言われて、この方はこうお答えしたそうです。「そうです。私は弱い人間です。神さまを信じて、そのことをはっきりと知りました。そういう私は、神さまと教会につながって、助けられているのです」。私たちは弱い者です。信仰生活というのは、自分の弱さを知らされ、また、神さまの恵み、力を知らされる歩みです。
(聖書から)
さて、今日の聖書の言葉から聴いていきましょう。このコリントの信徒への手紙を書いたパウロは肉の人とはどのような人か、このように書いています。
3:1 兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。3:2 わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。3:3 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。3:4 ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。
肉の人について、「キリストとの関係では乳飲み子である人々」とありました。別の聖書の箇所では、イエスさまは「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18章3節)と言われました。イエスさまは子供のようになりなさい、と言われました。イエスさまが子供のようになりなさい、と言われた時、イエスさまの弟子たちはお互いに誰が偉いか、ということを議論していました。そして、天の国では誰が一番偉いのですか?とイエスさまに質問したら、イエスさまが言われたのは、子供のようにならなければ、天の国に入ることはできません、と言われたのです。ここで子供のようになる、というのは、自分の弱さを知り、神さまを信頼するということです。幼い子供が親を全面的に信頼するように、あなたがたも神さまを心から信頼しなさい、と言われたのです。
一方、今日の箇所の「乳飲み子」というのは、良い意味で言われているのではありません。イエスさまのこと、イエスさまの言葉を理解しようとしない、受け入れない人のことです。イエスさまの言葉、神さまの言葉は私たちにとって、霊の糧、心のごはんです。それをいただいて、自分のものにしない人のことです。3節に「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」とあります。妬みや争いが絶えない。神さまの言葉を聴いている人は、自分の心の中のこと、生き方について、神さまの言葉に照らし合わせて聴きます。「ああ、自分の心の中に妬む心がある」。そういう自分の心の中にある悪い思い、罪に気づいて、悔い改めます。でも、「キリストとの関係では乳飲み子」の人は、神さまの言葉によって自分の心を探ることはしませんから、いつまでも自分のことが分からないままです。
コリントの教会には、分派争いがありました。お互いに、自分が正しくて、あちらが間違っている、と言い合っていました。そのことをパウロは、それは妬みや争いだ、罪の問題だ、とはっきり言っているのです。そして、あなたがたは肉の人、キリストとの関係においては乳飲み子だ、と言うのです。しかし、パウロはコリントの教会が霊の人として生きるように、そのことを心から願って、語りました。それが5節以下に語られていることです。
3:5 アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。3:8 植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
皆さんはどうでしょうか?争いがあった時、どのようにして、争いをやめますか?お互いが歩み寄って、じっくりと話し合いをしますか?それも良い方法かもしれませんが、パウロはそれとは違う方法を示しました。その方法というのは、6、7節に繰り返し語られていることです。成長させてくださるのは神さま、ということです。つまり、みんなで神さまを見上げていきましょう、ということです。
アポロという人、パウロという人、それぞれ神さまの働きのために活躍した人たちです。しかし、彼らは神さまではありません。彼らは神さまによって用いられた人たちに過ぎません。「私はアポロにつく」、「私はパウロにつく」と言っていた時、あなたがたは神さまを見失っていた。誰が偉いか、立派か、そんなことを主張し合っていた。でも、大事なことは、神さまが私たち一人一人をご自分の栄光を表すために用いておられるということです。
(むすび)
9節に、「わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物」とありました。「神のために」とありますが、神さまは私たちを神さまの働きに加わらせて、ご自分の目的のために用いてくださいます。神さまの働きですから、私たちは自分のことを誇ったりする必要はありません。また、「神の畑」とありますように、神さまは私たちを耕してくださり、「神の建物」とあるように、神さまは私たちを建て上げてくださいます。私たちは、神さまのために励む者ですが、私たち自身は、神さまの畑、神さまの建物とありますように、私たちは神さまのものなのです。お互いが神さまのものですから、私たちはお互いを尊重し合い、大切にし合うのです。そして、今、行なっているように、一緒に神さまを礼拝し、賛美するのです。共に主を見上げ、主につながり、歩んでいきましょう。
祈り
恵み深い主なる神さま
私たちは一人では、自分の力では、肉の人、キリストとの関係では乳飲み子のような者です。しかし、キリストにつながり、その言葉を受けて生きるなら、主が私たちを霊の人へと導いてくださることを感謝します。
罪に陥っていたコリントの教会にパウロは神さまを見上げるようにと勧めました。成長させてくださる神さまを見上げて生きる時、私たちは罪から解き放たれ、日々、新たに生きる者とされることを信じます。
これからも、私たちを神さまのために力を合わせて働く者として、神さまの救いの言葉、福音を宣べ伝える者として用いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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