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【週報巻頭言】2021年11月28日 神の国はいつ来るのか?(マルコ13章28~37節)

イエスさまが福音宣教を開始された時のことがこのように書かれていました。

「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ1章14、15節)

イエスさまはガリラヤで福音宣教を始められました。その第一声が「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」ということでした。この「神の国」というのは、「天の国」、あるいは「天国」と同じことです。私たちは、天国というと、死んだ後に行くところと考えるかもしれません。日本では一般的に、天国というと、そういう理解があります。しかし、この聖書の言葉を読むと、「時は満ち、神の国は近づいた」とあります。神の国、天の国は近づいた、というのです。これはどういうことかというと、イエスさまが私たちのところにおいでになったということです。イエスさまがおいでになって、この方を受け入れた者は神の国に、すなわち、永遠の命に生きる者とされたのです。

もう一つ、神の国について、今度はルカによる福音書17章20、21節から、聴いてみましょう。

「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。『神の国は、見える形では来ない。 「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』」

神の国はいつ来るのですか?という問いに対して、イエスさまはこのようにお答えになりました。「神の国は、見える形では来ない」。これを別の訳で見てみますと、「見える形では来ない」というところが「観察できるようなしかたでは来ない」(聖書協会共同訳)となっています。観察する、というのは、どういうことでしょうか?傍観者、ただ眺めているだけということです。聖書の言葉がどれだけ私たちにとって力であるかというと、眺めているだけでは分かりません、信じてみなければ分かりません。もしも、「まだ信じたくないけど・・・」という方がおられるなら、無理に信じなさい!とは言いませんが、実際にイエスさまを信じて、聖書の言葉に生きる歩みをしている方から聞いてみたらよいと思います。「実に、神の国はあなたがたの間にある」。神の国は、信じるあなたがたの間に、あなたがたの中にすでにあるというのです。なぜ、このようなことが言えるのかというと、信じる人たちの人生のただ中に、イエスさまはおられるからです。

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