【週報巻頭言】2022年3月20日 私に倣う者になりなさい(一コリント4章14~21節)
「そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。」(一コリント4章16節)
「わたしに倣う者になりなさい」。この言葉を聞くと、パウロは傲慢な人だったのだろうか?自信家だったのだろうか?そんなふうに思われる方があるかもしれません。次の17節には、このようなことが書かれています。
「テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。」(同17節)
ここまで読んでいきますと、パウロが、コリントの教会の人たちに、私に倣う者になりなさい、と言ったことの内容が分かります。パウロの何に倣うように、というのかというと、「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方」です。パウロの生き方、それはキリストに従う、どこまでも従う。そういう生き方であったと思います。私はパウロの生き方について、その書いた手紙などから教えられ、それは本当に素晴らしい生き方だと思いますが、もし私が、パウロから、私に倣いなさい、私の生き方に倣いなさい、と言われたなら、パウロ先生、それは私には無理です、と言ってしまいそうです。
ところで、この「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方」ということですが、口語訳聖書では「キリスト・イエスにおけるわたしの生活のしかた」となっていました。他の翻訳聖書を見てみますと、「キリスト〔・イエス〕において私の〔歩んでいる〕道」(岩波訳)、「キリスト・イエスにおける私の道」(田川訳)とありました。「私の道」とあります。「私の生き方」というと、果たして、そんな生き方ができるのだろうか?と私は萎縮してしまいそうですが、道というと、イエスさまが私たちに用意してくださっている道がある。その道を歩めばよい。イエスさまご自身が道であり(ヨハネ14章6節)、イエスさまがその道を共に歩んでくださる。そう考えると、ああ、これなら、大丈夫だ、と私には思えるのです。
私に倣う者になりなさい。私はイエスさまが用意してくださった道をイエスさまと共に歩んできた。そのことに倣いなさい。パウロが語っているのは、そういうことではないでしょうか。
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