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【礼拝説教】2022年3月27日「神の国を受け継ぐ者として生きる」

聖書―コリントの信徒への手紙一6章1~11節
(はじめに)
 お読みしましたコリントの信徒への手紙一、これは使徒パウロがコリントの教会に書き送った手紙です。教会宛に、キリストの教会はどのようなものなのか、どのように歩めばよいのか、とコリントの教会の現状を踏まえながら、アドバイスしている手紙です。私たちの教会は2021年度の歩みを歩んできました。先週の日曜日には、総会が行われました。来週からは新年度を迎えます。2022年度の教会の歩みが始まります。私たちの教会はどのように歩んでいったらよいのでしょう。それは聖書から聴くのです。私たちは使徒パウロがコリントの教会に具体的に、丁寧にアドバイスを書き送った手紙を読みました。二千年前の教会の大切な事例がここに書いてあります。聖書から、教会がどのように歩んでいけばよいのか、神さまの救いにあずかった私たちがどのように歩んでいけばよいのか、聴いていきましょう、学んでいきましょう。

(聖書から)
 今日の聖書の言葉は、この手紙の6章1~11節です。パウロは一つの事例を挙げて語ります。
6:1 あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起こしたとき、聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです。
 教会の仲間、教会員同士で訴え合うということがあったようです。そのことについて、パウロは「聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです」と言っています。訴え出る。裁判になるようなことがあったようです。ここに「聖なる者たち」、そして、「正しくない人々」という言葉が出てきます。これはどういう意味でしょうか。
 「聖なる者たち」とは、神さまを信じる者たちということです。イエス・キリストの神さまを信じる者は、聖なる者とされたのです。私たちの教会で使用している新共同訳聖書は、後ろの方に付録が付いています。幾つかの付録がありますが、その一つに簡単な「用語解説」があります。その「用語解説」の中に、「聖」という項目があります。その一部を読んでみますと、「神の絶対的な尊厳を現す表現。人間を含むあらゆる被造物との隔たりを意味する」とあります。神さまという方は絶対的なお方であり、私たちは不完全な者、神さまは創造者、すべてのものをお造りになった方、私たち人間、その他の動物、植物などは被造物、神さまによって造られたもの。神さまと私たちは違う。私たちは神さまに成り代わるような者ではないし、そのようなことはできない、ということが言われているのです。
 しかし、この後のところには、「『聖なる人たち』などは、それ自身が聖であるというよりも、神のものとして清められたという意味で聖である。使徒パウロは、キリスト信者をこの意味で『聖なる者』と呼んでいる」と書いてあります。今日の箇所にも、「聖なる者たち」とありました。この説明に従って理解するなら、イエス・キリストを信じる私たちは「聖なる者たち」です。けれども、私たち自身が聖、清いということではありません。神さまが私たちを神さまのものとして清めてくださったから、そう言えるのです。繰り返しますが、私たちは、自分自身では決して、聖なる者、清い者などとは言えませんが、神さまが私たちをご自分のものとして、聖なる者、清い者としてくださいました。これは私たち自身の力ではなく、神さまの恵みによることです。ですから、私たちの生き方というのは、この神さまの恵みに感謝して生きる、神さまの恵みに応えて生きるものなのです。
 一方、「正しくない人々」とありました。これはどういう意味でしょうか。ここで言われている「正しさ」というのは、別の言葉で言い表すならば、「義」ということです。神さまの義、神さまの正しさということです。これも先ほどの「用語解説」の「義」という項目をご覧いただくと、分かります。その中に、こういう説明が書かれています。この義について、「特にパウロ書簡では、『人間を救う神の働き』、その結果である『神と人間の正しい関係』を意味する」とあります。「正しくない人々」というのは、神さまとの関係において正しくない人たちということ、神さまとの関係が断絶してしまっている人たちということです。
 私たちの生きているこの世の中、社会には、正しい人はいっぱいいます。しかし、それは人と人との比較によるもので、この人はあの人よりも正しい。そういう意味で正しい人はいます。しかし、聖書で言われている正しさとは、人と人との比較ではなく、神さまの前にどうなのか、ということです。神さまの前には、私たち人間、その誰一人正しいとか、完全という人はいないのです。しかし、神さまは私たちを正しい人としてくださいました。それはどういう意味かというと、私たちを、神さまと正しい関係、正常な関係を持つ者としてくださった、ということです。
私たちも以前は、神さまを知らない、と神さまを無視して生きてきました。神さまが私たちをお造りになり、愛しておられるのに、その方を知らない、と無視してきました。そういう私たちのために、神さまはご自分の大切なみ子、神さまの子供であるイエスさまをこの世に送ってくださり、神さまと関係が断絶していた私たちが神さまとの正しい関係に生きることができるように導いてくださったのです。
 今日の聖書の言葉に戻ります。2、3節をお読みします。
6:2 あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。6:3 わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか。まして、日常の生活にかかわる事は言うまでもありません。
 ここに「聖なる者たちが世を裁くのです」とあります。この「裁く」という言葉は、判定する、とか、判断する、という意味で考えてみたらよいでしょう。スポーツなどで、審判がジャッジする、と言いますが、私たちにも世の中をジャッジする、正しく判定する、判断する、という力が与えられているというのです。なぜなら、私たちは、本当の審判者、完全な審判者を知っているからです。その方とは、神さまのことです。その神さまの言葉を聴き、何が真実なことなのか、正しいことなのかを知り、正しく判定していく、判断していくのです。それなのに、あなたがたは神さまのことを忘れていないだろうか?神さまの言葉を聴くことを怠っていないだろうか?そのようにパウロは問いかけます。
 「なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。それどころか、あなたがたは不義を行い、奪い取っています。しかも、兄弟たちに対してそういうことをしている」(7、8節)。これは神さまの言葉から離れている姿を示しています。不義に対して、不義で仕返しする。相手から悪いことをされたら、悪いことで仕返しするという姿です。私たちは神さまの言葉を知っているはずです。それならば、悪に対して、悪で返すことはしないはずです。ローマの信徒への手紙12章19~21節にはこのようなことが書かれています。
12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。12:20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」12:21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
 「善をもって悪に勝ちなさい」とありました。悪に対して、悪で返すとき、私たちは悪に負けているのです。でも、悪に対して、善で返すとき、悪に勝つのです。

(むすび)
6:9 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、6:10 泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。6:11 あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。
9、10節には、厳しい言葉が語られています。そして、そこに列記されているような者は神さまの国を受け継ぐことができない、とも言われています。私たちはどうでしょうか。続く11節には、「あなたがたの中にはそのような者もいました」とあります。「そのような者もいました」とあるように、これは過去の話、私たちの過去の話、私たちと神さまとの関係が断絶していた時の話です。しかし、この後には、今の私たちのことが言われているのです。「しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています」。私たちも以前は、正しくない者、神さまとの関係が断絶していた者でしたが、神さまが、神さまの恵みである救い主イエス・キリストをお送りくださったことによって、「聖なる者」とされ、「義」とされたのです。神さまの国を受け継ぐことのできない者だったのに、神さまの恵みによって、神さまの国を受け継ぐ者とされたのです。だから、もう古い生き方、罪に支配されていた生き方に戻ることはしないで、イエス・キリストと共に、日々、新たに歩んでいこうではないか。コリントの教会に対して、私たちの教会に対して、聖書はそのように語っているのです。

祈り
恵み深い主なる神さま
 あなたは救い主イエス・キリストを私たちのためにお送りくださいました。この方のなさった救いのみわざにより、私たちは聖なる者とされ、義とされ、神さまの国を受け継ぐ者とされましたことを心から感謝します。
 このような恵みにあずかったのに、この恵みを忘れて、以前のような生き方、罪に支配された生き方に逆戻りしそうになることがあります。どうか、そのようなことがありませんように、私たちの心の目が神さまの恵みを見失うことがなく、いつも恵みを見つめ続けながら歩むことができますように導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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