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【週報巻頭言】2022年8月21日  主を喜ぶ信仰へ(詩編21編1~14節)

「主よ、王はあなたの御力を喜び祝い/御救いのゆえに喜び躍る。」(詩編21編2節)

神さまに向かって、王は神さまのみ力を喜び祝い、そのみ救いのゆえに喜び躍る、とあります。ここに出てくる王とは、1節に「ダビデの詩」とありましたように、ダビデのことです。ダビデ王が神さまに賛美している様子が歌われています。「喜び祝い」、「喜び躍る」とありました。神さまを喜ぶということです。私はこの言葉を読んで、私たちはどうだろうか?また私自身はどうだろうか?と自分に問いかけてみました。正直なところ、神さまを喜ぶということは、日々の生活の中であまりないのではないか、と思いました。皆さんはどうでしょうか。神さまを、神さまご自身を喜ぶということはあるでしょうか?ここには、「あなたの御力を喜び祝い」とあり、「御救いのゆえに喜び躍る」とありました。神さまの力、神さまの救いを喜んでいます。神さまはダビデ王に対して、その力、救いを表されました。では、私たちに対してはどうでしょうか。私たちには、神さまはその力、救いを表しておられないのでしょうか?だから、私たちも喜べないのでしょうか?いいえ、そうではないと思います。私たちにも、神さまはご自分の力、救いを表してくださっています。でも、私たちの方で、そのことに気づいていなかったり、無関心であったりするのです。

箴言3章6節に、このような言葉があります。

「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言3章6節)

口語訳聖書では、このようになっています。

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3章6節・口語訳)

私たちの歩む道、そのすべてにおいて主が共におられることを認めなさい、ということです。この後に「そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」とありますが、それは主が共におられるという信仰を持って歩みなさい。そうするならば、主があなたの道を整え、守ってくださる、ということでしょう。

私たちは、何か出来事があると、しかもそれが自分にとって良いことがあると、「ああ、神さまは私と一緒におられるのだ!」と嬉しくなるわけですが、そうでない時には、「神さまはどこにおられるのか?」と嘆いたり、悲しんだりして、喜ぶことができません。しかし、この箴言の言葉から教えられることは、「常に主を覚えてあなたの道を歩け」、「すべての道で主を認めよ」。何か出来事があってもなくても、主は私たちと共におられる。私たちと共に歩んでくださる。これが信仰、これが見ないで信じる信仰なのです。その時には、喜べないかもしれませんが、後になって分かることがある。後になって、これまでの歩みを振り返ってみると、「ああ、あのときも、このときも主は私と共におられたのか」と気づかされるのです。

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