ARCHIVE

アーカイブ

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 説教
  4. 「主の弟子として生きる」マタイによる福音書10章1~15節 2024/ 1/ 7 SUN.
板橋区 教会

「主の弟子として生きる」マタイによる福音書10章1~15節 2024/ 1/ 7 SUN.

聖書―マタイによる福音書10章1~15節
(はじめに)
 新しい年が明けました。今年もよろしくお願いします。今年は年が明けてすぐに北陸の方では地震がありました。石川県、新潟県、富山県と広範囲にわたる大きな地震でした。私は、石川県の金沢で生まれ、小学校の一年生までいましたから、とても懐かしいところです。どうぞ、被災された方々のうえに、主の守りと助けをお祈りください。

(聖書から)
 今日は、イエスさまの弟子として選ばれた人たちのことが書いてある聖書個所をお読みしました。1節には、このようなことが書かれています。
10:1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
 イエスさまが十二人の弟子を呼び寄せた、ということが書かれています。しかし、既にマタイによる福音書4章には、イエスさまが四人の人たちをご自分の弟子としてお招きになったことが書かれていました。その人たちというのは、漁師だった、ということですが、イエスさまはとてもユニークな言い方をされました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(4章19節)。
 漁師の仕事は、魚を捕ることですが、イエスさまは、彼らに、人間を取る漁師にしよう、と言われました。漁師は、魚を捕る時、ある道具を使います。網を使って、魚を捕ります。網というのは、英語では、ネットです。そこから連想するのは、インターネットとか、ネットワークということです。今の時代は、インターネットの普及によってとても便利になりました。その場にいて、すぐに世界中の情報が入ってきます。また、海外の人たちともつながりを持つことができます。そういうことから考えると、人間を取る漁師というのは、つながりということが言えるでしょう。では、それはどういうつながりなのでしょうか。イエスさまとのつながりです。イエスさまと私たちとのつながり、つまり、神さまと人とのつながりです。さらに、イエスさまは、人と人の間を取り持って、つながらせてくださるのです。イエスさまは神さまの愛を示され、互いに愛し合い、赦し合い、生きるように導いてくださいます。イエスさまが示された神さまの愛のネットワークが広がっていくように。それが福音宣教、福音を宣べ伝えるということです。
 イエスさまが、十二人の弟子を呼び寄せた、というのは、この時、初めて呼び寄せた、ということではなくて、イエスさまご自身が、一人一人と出会われて、関わりがあってのことだったと思います。もう一度、1節をご覧くださると、「汚れた霊に対する権能をお授けになった」とありました。汚れた霊とは何でしょうか?それは、私たちを神さまから引き離すものです。神さまのことを分からなくしてしまう、見えなくしてしまうものです。このようなことも書かれていました。「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった」。汚れた霊に対する権能というのは、汚れた霊を私たちから追い出すものです。そして、あらゆる病気や患いを癒すものです。これらはイエスさまご自身の働きです。しかし、イエスさまはご自分の働きを弟子たちにも行うように委ねられたのです。ある人は、イエスさまの弟子たちのことをこのように言っています。イエスさまの弟子とは、「小さなイエスさま」だ。イエスさまを信じて生きる人は、みんなイエスさまの弟子なのです。そして、「小さなイエスさま」として生きる、イエスさまに倣って生きる、イエスさまの真似をして生きるのです。
 十二人の弟子について、2節以下、その一人一人の名前が書かれています。
10:2 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、10:3 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、10:4 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
ここで気づかされることは、十二人の弟子のことを、「十二使徒」と書いてあることです。使徒、それは、派遣された者、遣わされた者ということです。イエスさまは、十二人を弟子として呼び寄せられました、招かれました。そして、汚れた霊に対する権能を与え、派遣されるのです。十二弟子、十二使徒、この人たちの中には、あの漁師たちの名前もあります。シモン・ペトロ、アンデレ。また、マタイという名前もありますが、これは、このマタイによる福音書を書いた人と言われています。イスカリオテのユダの名前も出てきます。ユダについては、「イエスを裏切ったイスカリオテのユダ」と書かれています。イエスさまを裏切った弟子として知られている人物です。私は、このユダが十二弟子に選ばれたことについて、よく尋ねられます。「イエスさまは、なぜ、ご自分を裏切ることになるイスカリオテのユダを選ばれたのか?イエスさまの目は節穴だったのか?」そういう質問が今までにも何度かありました。
イエスさまは、イスカリオテのユダが裏切ることを分かっていて、あえて選ばれたのでしょうか?私には、そのことについては分かりませんが、イエスさまは、十二弟子の選びの時、「お前はいつか、私を裏切るだろう」。そういうことを思いながら、選ばれたということではなかったと思います。イエスさまは、十二弟子の一人一人を愛され、この人を、またこの人を神さまの尊き器としてお委ねします、と祈りを込めてお選びになったと思うのです。私たちのことも同じです。「あなたは私を裏切るかもしれない・・・」。そういう思いではなく、この人も神さまに愛されている大切な一人・・・。そのようにして、私たちについても喜びをもって招いてくださったと私は信じています。私たちも時にイエスさまに背を向けてしまうようなことがあるかもしれません。その時、思い起こしてみるのです。そういう私たちをイエスさまが変わることのない愛をもって見つけておられることを。私はあなたを愛している。私のあなたに対する愛は変わらない・・・。
10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
 イエスさまは、弟子たちにこのように言われました。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」。このイエスさまの言葉を聞くと、イエスさまは、異邦人やサマリア人を差別されたのだろうか?そのように思われる方があるかもしれませんが、ここで大事なことは、「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」ということ、「イスラエルの家の失われた羊」ということです。
 イエスさまは、神さまです。神の子、救い主です。この方は、人として私たちのところに来られました。フィリピの信徒への手紙2章には、このようなことが書かれています(フィリピ2章6~8節)。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
 繰り返しますが、イエスさまは、神さまです。神の子、救い主ですが、人として来られました。具体的には、イスラエルに一人のユダヤ人としてお生まれになりました。イエスさまは、まず、ご自分の身近にいる人たちに福音を宣べ伝えたのです。それが、「イスラエルの家の失われた羊」ということです。彼らは、自分たちこそは、神の民であると自負していましたが、神さまのみ心からは離れていたのです。そこで、イエスさまは、まず、身近にいるユダヤ人の宣教から始められました。まず、身近にいる人たちから。これは、私たちも学ぶべきことです。私たちの身近な人から宣教を始めていきましょう。私たちの家族、友人、愛する人、まず、その人たちの救いを祈りましょう。皆さんの新年の抱負は何でしょうか?ぜひ、これらのことを新年の抱負に加えていただきたいと思います。

(むすび)
 イエスさまが、宣教の言葉として、示されたのは、このようなことでした。「天の国は近づいた」。天の国、天国ということです。「天の国は近づいた」というのは、おかしいと思われる方があるかもしれません。天の国は近づいた、ではなく、私たちが天の国に近づくようにしなければ!自分の力で頑張って、一生懸命に善行を積む、善いことを行う。そのようにして、神さまから認めていただいて、評価していただく。そうするなら、天の国に入ることができる!救われる!いいえ、聖書が言っていることは「天の国は近づいた」ということです。それは、イエスさまの方から、私たちのところにおいでになった、ということです。先月、クリスマスをお祝いしましたが、クリスマスというのは、「天の国は近づいた」、イエスさまが私たちのところにおいでくださったという出来事です。このことを私たちは宣べ伝えるのです。これが福音なのです。新しい年も、「天の国は近づいた」。イエスさまはあなたのためにおいでになりました!このことを宣べ伝えていきましょう。この年もイエスさまに出会う方がありますように。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
  新しい年が始まりました。戦争、災害、様々なことがあり、命の危機にさらされている人たちがおられます。また私たちの身近なところでも、生きることに苦しさをおぼえている人たちがいます。
 イエスさまはご自分の弟子たちに、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやす権能を与えられました。私たちも主の弟子として必要なものを備えてくださり、人々に福音を宣べ伝えることができるように導いてください。私たち自身に、また私たちが出会う人たちに、生きる喜び、生きる力を与えてください。
 私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

記事一覧

アーカイブ

月を選択