聖霊を悲しませてはならない(エフェソ4章25~32節)【週報巻頭言】2024年3月17日
悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。(エフェソ4章29節)
古い生き方から新しい生き方へ、とパウロは語ります。新しい生き方として示されている一つは「悪い言葉」を語るのを止めて、「聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉」を語りなさい、ということです。「悪い言葉」というのは、「腐った言葉」とも訳されます。「悪い言葉」、「腐った言葉」、それは人を生かすことも造り上げることもない言葉です。私たちはどうでしょうか?自分が普段、相手に対して、どのような言葉を語っているか、自分の語っている言葉を吟味することは大切なことです。そして、これに続いて30節の言葉が語られます。
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。(同30節)
悪い言葉を語ることによって、神さまの聖霊を悲しませることになるというのです。聖霊が悲しむというのです。聖霊が悲しむとは、神さまご自身が悲しむということです。神さまが喜ばれることは何か、悲しまれることは何か、そのことをいつも考えること、意識することは、とても大事なことだと思います。なぜなら、私たちの信じている神さまは、人格を持った神さま、生きておられる神さまだからです。何の考えも何の感情もなく、生きているのでもない、どこかにまつっているだけの神さまではありません。私たちは、聖書の言葉を通して、祈りを通して、神さまとの人格的な関係を築いていく、深めていくのです。神さまとの関係性の中で、交わりの中で、神さまの喜ばれることは何か、悲しまれることは何かを知っていくのです。私たちが求めるべきはもちろん、神さまの喜ばれることです。
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