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私たちは神の教会、聖なる者(一コリント1章10~25節) 【週報巻頭言】2024年7月28日

神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。(一コリント1章1、2節)

コリントの信徒への手紙の送り手であるパウロは、自分のことを「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ」と書いています。つまり、自分はキリストの使徒だというのです。それも、神さまのみ心によって召されて、と書いてあることに注目したいと思います。それは、自分がキリストの使徒としてふさわしいから使徒なのだ、というのではない。私が優れているとか、使徒にふさわしいとか、いうのではなく、神さまが、この私を使徒として召してくださったから、使徒として立たせていただいている、と言っているのです。教会には、いろいろな職務、働きがあります。ある人は、執事の働きを担っています。またある人は、奏楽の働きを担っています。それは、自分がそれにふさわしいから、自分が優れているから、というのではありません。神さまが、この私をその職務、働きに召してくださったのです。私たちは、召してくださった神さまに対して、最善を尽くして、その職務、働きに励むのです。

もう一つ、ここに書かれていることからおぼえたいことがあります。それは、パウロがコリントの教会のことを「コリントにある神の教会」と言っていることです。コリントの教会、それは、神さまの教会なのです。コリントの教会の人たちについても、このように言っています。「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々」。パウロは、コリントの教会の人たちのことを「聖なる者」と言っています。それは、自分で聖なる者になったわけではなく、キリストによって、キリストに召されて聖なる者とされたあなたがた、と言っているのです。

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