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聖書の画像 板橋の教会

神の招きの声に応えていこう(創世記3章1~13節)【週報巻頭言】2024年9月15日

その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」(創世記3章8~10節)

神さまは二人が自分を避け、隠れていることを知って、こう言われました。「どこにいるのか」。私はこの言葉を読んだ時、これは恐ろしい言葉だと思っていました。神さまが、ご自分の言葉に背いた、従わなかったアダムとエバの罪を追求する、責め立てる言葉、そのように思っていました。しかし、この聖書の言葉を繰り返し読んでいくうちに、そうではない、と思うようになりました。「どこにいるのか」。これはご自分のもとから離れて、迷ってしまった人たちを必死に探し求め、ご自分のもとに立ち返るようにと呼びかける神さまの招きの言葉ではないでしょうか?今、私はそのように信じています。

教会は福音を伝えます。それは神さまがご自分から離れてしまっている人たちに「私のもとに帰っておいで」と呼びかける神さまのメッセージを伝えることです。神さまは、私のもとに帰って来るように、と呼びかけておられる、待っておられるのです。私たちもその声を聞いて、神さまのもとに帰って来た一人一人ではないでしょうか?裸のままで、つまり、そのままで、ありのままで私たちを愛し、赦し、受け入れてくださる神さまのもとに帰って来たのです。

アダムとエバは裸であることを恥じた、恐れた、とありましたが、私たち人間は、裸ではいけない、自分の身を守ろうと、いろいろなものを鎧や兜にして身に付けようとします。そして、それで自分を守ることができると考えてしまうのです。しかし、本当に私たちを守ってくださるのは神さまです。ですから、私たちは裸のままで、そのままで、ありのままで主のもとに行くのです。そして、そこで神さまの守りを知るのです、神さまと共にある平安を知るのです。すべての人々に向けられた神さまの招きを知る私たちは、「どこにいるのか」、この神さまの招きを、呼びかけを伝えていきましょう。

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