
主の心を動かした信仰(マタイによる福音書15章21~28節) 【週報巻頭言】2025年2月2日
イエスさまがティルスとシドンの地方に行かれた時、イエスさまのことを聞いた一人の女性がイエスさまのもとにやって来ました。彼女は、病に苦しむ娘のことで主に助けを求めました。しかし、主は、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(マタイ15章24節)とお答えになりました。ご自分は、同胞のユダヤ人の救いのためにしか遣わされていない、と言われました。しかし、彼女は、主の前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」(同25節)と言いました。主は、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」(同26節)と言われ、ご自分の使命はユダヤ人の救いのためであることを繰り返し、語られました。彼女はこれを聞いてあきらめたのでしょうか?いいえ、主に対して、このように言いました。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」(同27節)。この言葉が、主の心を動かしたのです。主は、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」(同28節)。そして、娘の病気はいやされました。
「あなたの信仰は立派だ」。マルコによる福音書では、「それほど言うなら、よろしい」(マルコ7章29節)となっていますが、口語訳聖書では、「その言葉で、じゅうぶんである」となっています。イエスさまは、この異邦人の女性の信仰、神さまの救いを必死で求める心を知られ、喜ばれ、満足され、その信仰に応えられたのです。そして、この出来事がきっかけで、イエスさまの伝道が、神さまの救いがユダヤ人から異邦人へと拡げられていったのではないでしょうか。イエスさまは、この異邦人の女性だけでなく、私たちの信仰、神さまの救いを求める心をも喜んでくださる、満足してくださる方だと私は信じています。祈り求めていきましょう。
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