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感謝の祈りを唱えて・・・(マタイ15章29~39節) 【週報巻頭言】2025年2月23日
大勢の群衆を前に、主は彼らに食べ物を与えたい、と言われました。しかし、弟子たちは自分たちの手には七つのパンと少しの魚しかない、と答えました。
そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。(マタイ15章35、36節)
信仰があるかないか分からないような弟子たち。しかし、その弟子たちに主はパンと魚を渡されたのです。福音を委ねられた、福音を託されたのです。弟子たちは、それを配りました。信仰があるかないか分からないような弟子たちが人々にそれを配ったのです。すると、どういうことが起こったか。それが37節以下に書かれていることです。
人々は皆、食べて満腹した。残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が四千人であった。(マタイ15章37、38節)
「人々は皆、食べて満腹した」とあります。「残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった」とあります。わずかなものしか持たない弟子たち、わずかな信仰しかない弟子たち。しかし、その弟子たちが神さまに用いられて、人々を満たしたのです。ここに神さまのみわざが、奇跡が起こったのです。
私たちもこの弟子たちのようなものです。信仰が足りない。あれがない、これができない・・・。そういう私たちです。口を開けば、嘆きや愚痴が出てきてしまう。そういう私たちですが、主は、そういう私たちのことを神さまに祈られるのです。この私のことを、あなたのことを、主は、神さまに感謝して祈られるのです。そして、主は、私たち一人一人にこのように言われていると思います。「あなたは、神さまが私に与えてくださった愛する弟子なのだ」。何と嬉しいこと、何とありがたいことでしょう。そして、主は私たちにもパンと魚を渡される、福音を渡されるのです。私たちがすることは何でしょうか?私たちは主が渡してくださったものを配るのです。福音を配るのです。私たちは、主がこの私を神さまのお働きのために用いてくださる。そのことを喜びたいと思います。感謝したいと思います。
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