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折が良くても悪くても(二テモテ4章1~5節)

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(二テモテ4章2節)
メメント・モリという言葉があります。これはラテン語で、中世の修道士たちの挨拶の言葉であったということです。メメント・モリ、それは「死を覚えよ」、「死を忘れるな」という意味です。私たちにいつ死が訪れるかは分かりません。だから私たちは生かされている今、この一日一日を大切に生きるように、ということです。大切なことを後回しにしないことです。この手紙を書いたときというのは、パウロの晩年であったということですが、パウロはいつもメメント・モリ、死を覚えていた、死を忘れないでいたと思います。だからこそ、日々、最善を尽くして生きていました。そのパウロが語ったこと、それが「御言葉を宣べ伝えなさい」ということでした。み言葉、それは神様の言葉のことです。そして、それはイエス・キリストのことであり、福音のことです。パウロがみ言葉を宣べ伝えるように、と言ったのは、パウロ自身がこのみ言葉、福音に生かされていたからです。福音、それは信じても信じなくても良いようなもの、伝えても伝えなくても良いようなものではありません。本当にこの私は福音に生かされ、支えられている。その確信、喜びからこう言っているのです。パウロはガラテヤの信徒への手紙2章20節でこう言っています。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」
 キリストが私の内に生きておられる。イエス・キリストを信じるということはこういうことです。私がイエス・キリストが救い主だ、神だと理解した、認識した。そこに留まらないのです。キリストが私の内に生きておられる。イエス様がこの私の人生を共に生きておられる、ということです。

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