
愛されている者として生きる。そして、愛する者として生きる。(一ヨハネ4章13~21節)【週報巻頭言】2025年7月6日
わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。(一ヨハネ4章16、17節)
この聖書の言葉には、「愛」という言葉が出てきました。「わたしたちに対する神の愛」とありました。イエス・キリストは十字架にかかってくださいました。それは、私たちが罪に生きることを止めて、自己中心、愛の無い生き方を止めて、互いに愛し合う、互いを大切にし合う生き方をするようになさったことでした。イエス・キリストは、どこまでも人のために生きられた方であり、死なれた方でした。その究極が十字架でした。
わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。(一ヨハネ4章19節)
ここで言われていることは、「わたしたちが愛するのは・・・」とありますが、愛の動機ということです。愛する、ということを考えると、自分が愛された経験がない、あるいは愛されたという思いが、意識がないという人が、愛するというのは難しいことだと思います。ここには、このようなことが言われていました。「神がまずわたしたちを愛してくださった」。神さまがまず、私たちを愛してくださった、というのです。私たちは神さまに愛されている、ということです。神さまに愛されていることを知った私たちは、その喜び、感謝から、愛する者として生きるのです。そのことを神さまは願っておられるのです。
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