
神を愛する者(一ヨハネ5章1~5節) 【週報巻頭言】2025年8月10日
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。(一ヨハネ5章3節)
神さまを愛するとは、神さまの掟を守ることとあります。神さまの掟とは何でしょうか?別の訳では、「戒め」(口語訳、聖書協会共同訳)、「命令」(新改訳、新改訳2017)と訳されています。掟とか、戒め、命令というと、堅苦しいイメージのように思うかもしれませんが、別の言い方をすると、神さまの言葉とか、神さまの教えということです。私たちがクリスチャンになって、聖書を読む、聖書を学ぶのは、自分が聖書の知識があると誇るためではありません。それではなぜ、私たちが聖書を読むのか、学ぶのかというと、聖書から神さまの言葉、教えを知るため、そして、神さまの言葉、教えに従って生きるためです。それが、ここに書かれているように、神さまを愛することなのだ、というのです。
私たちが本当に愛する人、信頼する人と関わる時、相手の言葉を大切にすると思います。その言葉を通して、相手の気持ちや考えを知ります。そして、その相手が喜ぶこと、良いことは何だろうかと考え、そのために何かをしようとするでしょう。これは神さまとの関係においても同じです。私たちは、神さまを信じています。それは、神さまがこの私を愛している、私を大事な、大切な存在としてくださっている。そのことを知って、神さまを信じたのではないでしょうか。そして、愛されている喜び、感謝から、この私も神さまを愛する者、神さまの言葉、教えに従っていこうとするのです。それがクリスチャンの生き方です。
「神の掟は難しいものではありません」。別の訳では、「その命令は重荷とはなりません」(新改訳)となっていました。神さまに従うことは難しいことではない、重荷ではない・・・。「いいえ、私にとっては、神さまに従うことは難しいこと、重荷です」と言われる方がおられるでしょうか?では、なぜ、難しいのか、重荷となっているのか、というと、自分の心を点検していただくとよいでしょう。自分と神さまとの関係、今、自分はどんな状態なのか?神さまの言葉を読み、聴き、祈りながら、そのことを考えてみるのは大事なことです。
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